ペット以上、恋人未満 −12−

 

 

それから綺羅人は毎晩駅まで迎えに来てくれるようになった。

朝食も夕食もずっと作ってくれている。

 

寝る時もあたしをぎゅっと抱きしめてくれる。

 

あたしはずっとそれに甘えていた。

 

「綺羅人、ごめんね。いろいろありがとう・・・。」

あたしがそう言うと綺羅人はいつも笑ってくれていた。

そして「俺、ちゃんと凌子さんの事、癒してる?」と必ず聞く。

 

「うん・・・、すっごく癒されてるよ。」

その言葉に嘘はない。

実際、克彦さんの自殺から一ヶ月近く経った今、

以前のように少しずつ笑えるようになってきた。

 

でも、克彦さんからのあの最後の手紙はまだ捨てていない。

引き出しの奥にずっと仕舞ってある。

 

捨てるには・・・もう少し時間がかかりそうだ。

 

 

週末、金曜日―――。

いつものように駅まで迎えに来てくれた綺羅人と

マンションに向かって歩いていると

「ねぇ、凌子さん。明日、デートしない?」

と綺羅人が言った。

 

「デート?」

 

「うん、たまには映画とか観に行かない?」

 

「映画かぁー・・・そういえば最近全然映画館に行ってないかも。」

 

「凌子さんはどんな映画が好きなの?」

 

「んー、基本的には恋愛映画かなー。

 でも、アクションとかSFとかファンタジーも好きだよ。

 あ・・・でも、ホラーは苦手だけど。」

 

「あはは、俺もホラーはちょっとなー。

 じゃあさ、今ちょうどおもしろそうなSF映画やってるから

 それ見に行こうよ。」

綺羅人はそう言うと目をくるくると輝かせた。

多分、綺羅人がこんな風にあたしを“映画デート”に誘うのも

克彦さんの事でまだ完全に立ち直っていないあたしに

気を使ってくれているんだろう。

 

「うん。」

あたしがそう返事をすると綺羅人は「やった♪」と嬉しそうに笑った。

 

 

―――翌日。

綺羅人と一緒に外でランチをした後、映画館に向かっていると

反対側の歩道に見覚えのある顔があった。

 

ベビーカーを押しながら、仲良くゆっくりと歩いている夫婦らしき二人。

 

克彦さんの奥さん・・・いや、元奥さんだ。

 

隣にいる男性がおそらく不倫していた人・・・

赤ちゃんの父親なんだろう。

 

あんな二人の幸せそうな姿は見たくなかったな・・・。

 

そう思っていても、つい目で追ってしまう。

 

 

「どうしたの?凌子さん。」

不意に頭上から綺羅人の声がした。

 

「あ、ううん・・・なんでもない。

 なんか、知り合いに似てる人がいたんだけど

 違ったみたい。」

あたしは慌てて綺羅人に笑みを返した。

すると、綺羅人はなんとなく腑に落ちてない感じで

「ふーん。」と言い、手を繋いできた。

そして、「今日はデートだもん。」とにっこり笑った。

 

「うん、そうだね。」

あたしは綺羅人の優しい手の暖かさにすごく癒された気がした。

 

もう・・・いい。

 

あたしが元奥さんやその不倫相手だった男性に何か言える立場じゃないし、

例え、言ったとしても克彦さんが生き返る訳じゃない。

 

生き返ったとしても、あたしが克彦さんのところへ戻る事もないのだから。

 

もう、忘れよう・・・。

 

綺羅人と手を繋いで自然とそう思えた。

 

 

そうして、綺羅人と手を繋いだまま映画館の前に来た時、

「綺羅人さんっ!?」

と、言う声に綺羅人は足を止めた。

 

・・・?

 

あたしと綺羅人の目の前には20代前半だと思われる女の子がいた。

 

「彩穂・・・。」

綺羅人の繋いでいる手がピクリと動いた。

 

「・・・。」

 

「・・・。」

綺羅人と“彩穂”と呼ばれた女の子は黙ったまま見つめ合い、

そして、綺羅人はあたしの手をぎゅっと握って

そのまま無言で再び映画館の中へと歩き始めた。

 

「待って、綺羅人さんっ!」

だけど、の女の子が綺羅人を呼び止めた。

 

綺羅人は振り向くこともしない。

 

「綺羅人?」

あたしの声にも反応しないでスタスタと歩いている。

 

こんな綺羅人は初めてだ。

普段、あたしの前では笑っているのに

今は眉間に皺を寄せている。

 

誰なんだろう?

 

「綺羅人さんっ!」

その女の子は綺羅人の腕を掴んだ。

綺羅人はようやく足を止め、振り向いた。

 

「どうして、勝手に婚約を解消したりしたの?」

 

・・・え?

 

婚約?

 

「・・・それは、君のお父さんに話しただろう?」

綺羅人は顔を顰め、いつもより少し低い声で言った。

 

「そんなんじゃ、納得できる訳ないじゃない!

 携帯も解約しちゃってるし、お店だって勝手に辞めちゃうし、

 マンションにもずっと帰ってきてないみたいだし・・・。

 ・・・もしかして、原因はこの人?」

女の子があたしに鋭い視線を向けた。

 

「・・・。」

綺羅人は否定も肯定もしなかった。

 

どういう事?

 

「綺羅人さんとは、いつからなんですか?」

 

「い、いつからって・・・」

 

「一年前のあの時は、まだ綺羅人さんと会ってなかったですよね?

 ・・・それなのに、どうして、あなたが・・・」

「彩穂っ!やめろよっ。」

女の子があたしに詰め寄ると綺羅人がそれを制した。

 

この子・・・あたしの事、知ってるの?

 

“一年前のあの時”って・・・?

 

「綺羅人・・・ちゃんと話したほうがいいんじゃない?」

綺羅人はまったくその気はなさそうだけど、

女の子の方はそうはいかなそうだ。

 

「でも・・・」

綺羅人はあたしを一人にしたくないのか

心配そうな顔をした。

 

「あたしなら大丈夫だから。」

 

「・・・。」

 

「ホントに大丈夫。だから・・・ね?

 ちゃんと話し合って?」

そう言って、繋いだ手の力を緩めると

「うん・・・わかった。」

と、綺羅人も手の力を緩めた。

 

そして・・・あたしと綺羅人の手が離れた―――。

 

 

「・・・帰ったら、ちゃんと話すから。」

 

踵を返し、歩き始めると綺羅人の声が背中越しに聞こえた。

 

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