言葉のかわりに−第四章・6−

 

 

「唯ちゃん、昼メシちゃんと食べてました?」

 

「いえ……あまり」

 

「やっぱりなー」

祐介はそう言うと、

「唯ちゃんに差し入れ持って来たんで、口に押し込んで来ます」

どこかカフェらしき店の紙袋を橘に見せた。

 

「いつも、すみません。気を遣って頂いて」

 

「いえいえ、唯ちゃんは俺の天使ですから」

祐介はニッと笑うと、唯の方へと歩いていった。

 

(“天使”……か)

 

「今の男……この間、姫と撮られてたヤツだろ?」

 

「えぇ」

 

「元気がない“彼女”に差し入れなんて泣かせるねぇー」

倉本はそう言うと唯と祐介に視線を向けた。

和磨も唯に話し掛けている祐介へと視線を移す。

 

「唯ちゃん」

不意に名前を呼ばれ、顔を上げる唯。

 

「澤田さん……」

 

「お疲れ。はい、これ差し入れ」

祐介は優しく微笑むと唯の目の前によく一緒に行っているカフェのロゴが入った紙袋を置いた。

 

「最近、ずっと食欲ないみたいだから昼メシもろくに食ってないだろうと思って……これなら食べられるだろ?」

祐介はそう言いながら紙袋からサンドイッチを出した。

ベーグルの中にエマンタルチーズとトマトサラダがサンドしてある唯が好きでよく食べている物だ。

 

「はい、あ〜ん……」

祐介は隣に座ると唯に食べさせようとサンドを口の前まで持って来た。

 

(よりにもよって嫌な場面を見たな……)

その様子を目にした和磨はすぐに視線を逸らした。

 

「ひ、一人で食べられますよー」

唯は慌ててそう言うとベーグルサンドを祐介の手から奪い取った。

 

「元気がないから一人じゃ食べられないかと思った」

祐介はハハッと態と悪戯っぽく笑った。

 

唯はそんな祐介に「……ありがとう」と言って、サンドを一口パクリと食べた。

 

祐介の言うとおり、唯は昼食もあまり口にしていなかった。

パリに戻ってから、そしてJuliusと共演の話が持ち上がってから和磨の事が頭から離れないでいた。

それでも必死に橘の事を考えようとしていた。

だけど、それはどこか心が無理をしているからなのか日に日に食欲がなくなっていった。

 

「ところで、姫どっか体調悪いの?」

唯と祐介の様子を見ながら倉本が橘に訊ねる。

 

「疲れがピークに来ているだけだと思うんですけどね」

 

「けど、今は仕事の方はセーブしてるんだろ?」

 

「そうなんですけど、学校の方が……」

 

「あー、卒業試験だっけ?」

 

「えぇ、その勉強とピアノの練習に集中してて……澤田さんの話ですと、

 学校で毎日夜十時くらいまでピアノを弾いてるらしいです」

橘はそう言って苦笑した。

 

(そんな遅くまで……てか、毎日って事を知ってるという事はもう一緒に住んでるのか?)

 

「そりゃ、疲れもするわな」

 

「本当は四月はもう仕事を入れないはずだったんですけど、結局、入れざるを得なくなりましたし、

 余計に焦ってるんでしょう」

橘は唯を見つめながら小さく溜め息を吐いた。

 

祐介は唯がベーグルサンドを全部食べ終わったのを見届けると「よしよし」と言ってニッと笑った。

 

 

「収録って、後何本やるの?」

唯がお礼にと言って淹れてくれたコーヒーを啜りながら祐介が訊いてきた。

 

「後一本です」

 

「じゃあ、後一回歌えば試験に集中出来るね」

 

「はい」

 

そうだ……この収録が終わればもうこの曲は歌わなくて済む。

 

素直な気持ちで……後、一回だけ――。

 

 

休憩を終え、ピアノの前に座った唯は少し間を空けてから意を決したように『初恋』を弾き始めた。

 

“素直な気持ちで……”

 

その言葉の通り自分の気持ちを隠す事無く、ピアノを弾いた。

 

あの頃の和磨への想いを込めて――。

 

唯の衣装はクラシックではない曲の演奏の為かドレスではなく、制服っぽいイメージの

チェックのミニスカートに紺のハイソックスだった。

 

(……て、思いっきり俺達が通っていた高校の制服とかぶってるじゃないか)

 

曲のイメージに合わせた衣装なんだろうけれど、あの頃より大人になったはずの唯が着ても全然違和感はない。

 

唯はこの曲をどんな想いで歌っているのだろうか……。

 

初恋……。

 

以前、唯の初恋はあの長瀬孝太だと香奈が言っていた。

 

(歌詞の内容からしてアイツの事を思い出しながら歌っているのかな……?)

 

それとも……今の恋人の事を想いながら歌っているのだろうか。

 

(俺が唯の事を想いながら『言葉のかわりに』を歌っていたように――)

 

和磨は唯が今どんな想いで歌っているのか、どんな想いで弾いているのか、まるで知るはずもなかった――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

「お疲れ様でした。神崎さん、ちょっと紹介しておきたい方がいるんですが……」

収録が終わり、橘は唯にそう声を掛けると隣にいる倉本をちらりと横目で見た。

 

「こちらはJuliusのプロデューサーの倉本毅さんです」

そして、橘が倉本を紹介した瞬間、唯の顔が少し強張った。

 

(Juliusの……)

 

「Juliusのプロデューサーの倉本です。よろしく」

倉本はそう言うと、唯に自分の名刺を差し出した。

 

唯はその名刺を両手で受け取り、

「……初めまして、神崎唯です」

とりあえず笑みを浮かべながら、自己紹介した。

……と言っても、もちろん笑えていなかったが。

 

「あっちにメンバーもいるんだよ」

倉本はそう言いながら、スタジオの入口付近に視線を向けた。

すると倉本の視線の先には和磨達Juliusのメンバーとマネージャーらしき女性が立っていた。

 

(かず君……!?)

 

そこにいた和磨は空港で会った時の様に帽子もサングラスもかけていなかった。

髪はあの頃よりも少し長くなっていて、顔もあの頃よりは大人になっていた。

長身な上、モデル並みの体型……しかも端整な顔立ちは当時から格好良いと思っていたが、

三年ぶりにまともに見る和磨は息が止まる程だった。

 

和磨は唯と視線が絡み合うと、真っ直ぐに見つめ返してきた。

 

唯がそのまま動けずにいると、倉本が目で合図したのか、メンバーとマネージャーの弥生が

唯の目の前まで近付いて来た。

 

「「「唯ちゃん、久しぶり!」」」

拓未と准、智也がそう言うと、唯はハッと我に返り、

「……うん、久しぶり」

小さく笑った。

 

「あ、ところでなんでパリにいるの?」

唯はJuliusのメンバーがパリにいる事に首を傾げた。

 

「アルバムのレコーディングとジャケット撮影」

拓未はにんまりと笑って答えた。

 

「そ、そうなんだ」

 

「うん。で、今日は今から隣のスタジオでジャケット撮影なんだ」

拓未がそう答えると、

「唯ちゃんは? 収録?」

准が訊ねた。

 

「うん、歌番組の」

 

「へぇ〜っ……てか、その衣装、俺らが通ってた高校の制服と丸かぶりじゃん」

准はプププッと笑った。

 

「う、うん、私もこれ着るのちょっと抵抗あったんだけど……」

唯は少し顔を赤くしながら言うと、

「いや、全然違和感ないよ、似合ってる」

倉本がニカッと笑った。

 

「「「うんうん、あの頃のまんま♪」」」

そして拓未達も口を揃えて言った。

 

「えーっ! ……て事は、私あの頃から全然成長してないって事?」

 

「違う、違う! あの頃と変わらず可愛いって事♪」

拓未はニッと笑った。

 

唯は“可愛い”と言われて、また顔を赤くした。

 

(ほら、こういうトコ昔と変わらず可愛い)

そんな唯を見て和磨は密かに心の中で微笑んだ。

 

「……ところで、姫」

 

「?」

倉本に呼ばれ、唯が一体誰の事を“姫”と呼んだのかわからず首を傾げると橘がククッと笑い、

「神崎さんの事ですよ」

と耳打ちをした。

 

「……はい?」

唯は不思議そうな顔をしながら倉本に視線を移した。

 

「卒業試験て何月にあるの?」

 

「六月です」

 

「じゃ、それ以降ならJuliusと共演は可能なワケだ?」

倉本はそう言うとにやりとした。

 

「……あ……えーと……はい」

唯はその笑顔に嫌な予感を覚えながらもとりあえず“はい”と答えた。

 

橘は唯の反応を見て、すかさず助け舟を出した。

「その事なんですが、卒業後の演奏活動の事もありますし、それに合わせていろいろと

 調整しないといけませんので詳しい事はもう少し待って下さい」

 

倉本は橘に一瞬だけ視線を向けると、

「OK、姫はもう収録終わったの?」

と訊ねた。

 

「はい」

 

「んじゃ、橘、今から空いてる?」

 

「はい、空いてますよ?」

 

「Juliusの撮影が終わってからになるけど、飲みに行かない?」

 

「はい、わかりました。それでは先に神崎さんを送って来ますので」

橘がそう言って立ち上がろうとすると、

「あ、大丈夫ですよ。ここから家まですぐですし」

唯が制した。

 

「へぇー、姫の部屋って、ここから近いんだ?」

 

「はい、歩いて十五分くらいです」

 

「夜、行っちゃおっかな♪」

倉本は唯に怪しい笑顔を向けた。

 

「……え?」

唯は引き攣った顔で固まった。

 

「駄目ですよ、倉本さん。神崎さんは卒業試験の勉強があるんですから!」

すると橘が慌てて倉本に言った。

 

「ははは、冗談だって」

倉本は唯の顔と橘の反応にプッと吹き出した。

 

「……なら、いいですけど……倉本さんは本気の場合がありますから油断出来ないんですよ」

橘は軽く息を吐いた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

唯は拓未達と話している間もずっと和磨とは目も合わそうとはしなかった。

 

(唯の瞳にはもう……アイツしか映っていないのか……?)

 

 

私服に着替え、メイクも落として再び和磨達の目の前に現れた唯はテレビ画面の中とは違う顔をしていた。

あの頃よりすごくきれいになっていたけど、やっぱりどこかあどけない。

 

「レコーディング頑張ってね」

唯は和磨達メンバーにそう言うとバイバイと手を振って祐介の所へ駆け寄って行った。

撮影の時には外していたけれど、左手の薬指にはあのサファイアのリングがはまっているのが見えた。

 

そしてゆっくり遠ざかっていく二人の後姿を和磨はただ見送っていた……。

 

「いいなぁ……姫は今からデートか」

倉本がそう言うと、

「デートも何もただ一緒に帰るだけですよ?」

橘がそう言って苦笑した。

 

(一緒に帰る……て、事はやっぱり……同棲してるのか……)

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

ジャケットの撮影も順調に終わり――、

夜、時間が空いた和磨達は倉本と橘の二人と別れてホテルの近くにある店で食事をしていると、

しばらくして隣のテーブルに日本人のカップルが来た。

 

(あ……コイツ、唯と一緒に帰った澤田って男じゃないのか?)

 

女性の方は……

 

唯じゃない。

 

ショートカットのなんだか気の強そうな女性を連れている。

向こうはどうやら和磨達には気が付いていないようだ。

 

「悪いな、突然呼び出したりして」

 

「どうしたの? 唯ちゃんがかまってくれないの?」

一緒にいる女性はそう言ってクスクスと笑った。

 

(……唯?)

唯の名前を耳にして思わず和磨は二人の会話に聞き耳を立てた。

別に盗み聞きするつもりもないが隣のテーブルだから実は何もしなくても聞こえて来たりはする。

 

「そーなんだよ、収録から帰ってからすぐに勉強するって言って部屋に篭りっきり」

澤田はそう言うと、

「……という訳で、理恵……今夜は俺にかまってね」

ニッと笑った。

 

(おいおい、コイツ唯がかまってくれないからって他の女とデートかよっ)

 

「てゆーか、祐介も今年卒業試験受けるんでしょ? 唯ちゃんを見習って勉強したら?」

理恵と呼ばれたその女性は半分呆れたように言った。

 

「俺だってちゃんと勉強してるよ?」

 

「そーぉ?」

 

「てか、唯ちゃんが異常なんだよ」

 

(異常……て)

 

「……唯ちゃんの実力なら満点合格間違いないのに」

祐介はそう言うと、ふぅーっと溜め息を吐いた。

 

「唯ちゃんは完璧主義だからねー」

 

「俺とは大違い」

 

「あんたは大雑把すぎ」

 

「何言ってんだよ、お前は音楽の事わかんないだろ?」

祐介はククッと笑った。

 

そして理恵も

「まぁ、そうだけど」

クスッと笑った。

 

それから祐介と理恵は他愛もない話をし始めた。

 

(つーか、この男……なんで唯の事は“唯ちゃん”でこの女の事は“理恵”って呼び捨てなんだ?

 それに、この女も澤田の事を“祐介”と呼び捨てにしてるし。

 コイツ……唯と同棲までしてるのに二股掛けてるとか?)

 

真実を知らない和磨は祐介への疑惑が増すばかりだった――。

 

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