言葉のかわりに−第四章・5−

 

 

唯と撮られた一件がひとまず片付いて、無言を貫き通す和磨の周りをちょろちょろと嗅ぎ回っていた

パパラッチ達が大人しくなり始めた頃――。

 

事務所で打ち合わせをしていた和磨達の前にJuliusのプロデューサー・倉本毅が現れた。

Juliusをライブハウスでスカウトした張本人でもある。

 

「よぅっ! Kazuma、今回は今までと違うタイプの子と撮られてたなぁ?」

倉本は和磨の顔を見るなり、そう言ってにやりとした。

 

「……」

その笑顔に和磨は嫌な予感がした。

 

(こーゆー笑い方をしてる時はだいたい、ろくなコト考えてないんだよな……)

 

「あの子……ピアニストの神崎唯さんだっけ? 知り合いだったのか?」

 

「……高校の時の同級生です」

 

「へぇー」

倉本はしばし考えを巡らせ、

「今度、共演してみるか?」

しれっとした顔で言った。

 

「「「「……え!?」」」」

その言葉に傍で話を聞いていたメンバー全員が一斉に倉本に視線を移した。

 

「Kazumaの同級生って事は、当然他のメンバーも知ってるんだろ?」

 

「……そりゃあ、まぁ」

准と智也は顔を見合わせながら返事を返した。

 

「人気ロックバンドと話題のピアニスト……結構おもしろいと思うけど?」

倉本はにやにやしている。

 

……一体、何を考えているのか。

 

「でも、また週刊誌にいろいろ書かれるんじゃないですか?」

すると、マネージャーの菊本弥生が不安そうに言った。

 

「別に平気だろ? 高校の同級生って言えばいいんだし、“同窓会感覚”で共演……って事で」

 

「……はぁ」

弥生は倉本には口では適わないのがわかっているのか、言い出したら聞かないのがわかっているのか……

それ以上何も言わなかった。

 

「曲は……どうするんですか?」

今度は黙って聞いていた拓未が口を開いた。

 

「『言葉のかわりに』。あれ、いいと思うけど?」

倉本はそう言って和磨に視線を戻した。

 

「あの曲を歌いたがらないのは……あの子が原因じゃないのか?」

倉本は拓未以上に鋭い。

今回のスキャンダルは仕組まれたものじゃない。

他の女性にはまったく興味を示さない和磨が唯に声を掛けているところをパパラッチに撮られたのだ。

その事でピンと来たのだろう。

 

「……」

(そういう事か……)

 

倉本はデビュー当時からずっと『言葉のかわりに』を和磨に歌わせたがっていた。

頑なに拒否する和磨とメンバーが庇ってくれていたおかげで今までは歌わずに済んでいたけれど。

 

(プロデューサーとしては唯を使ってでも歌わせたいって訳か?)

和磨は正直返事に困った。

『そうです』とも『違います』とも言えないでいた。

 

(……もし……もしも唯と共演て事になったら……俺はあの曲を歌えるのだろうか……?

 だけど……一体どんな顔をして歌えばいい?)

 

だが、唯には恋人がいる。

それにあの指輪をしていたという事は唯もきっとその恋人の事が好きなのだろう。

 

「この話……進めてください……」

和磨は唯はもうきっと自分の事など忘れたのだろう。

そう思い、この話を進める事にした。

 

「いいのか?」

拓未は少し驚いたように和磨に言った。

 

「……あぁ」

それに唯はこの話を聞いてどうするのか?

どう思うのか?

それが気になる……というのもあったからだ。

 

「じゃ、この話先方に通すぞ? Takumi達もいいよな?」

倉本は他のメンバーにも確認を取った。

 

メンバーもその言葉に頷き、後は唯次第……という事になった――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

三月になり、唯が出演している例のシャンプーのCMの春バージョンが流れ始めた。

 

あれから唯はずっとあのシャンプーのCMに出ている。

そして和磨もずっとあのシャンプーを使い続けていた。

元々シャンプーに拘りはなかったし、何でもよかった。

けれど、唯が今でも使い続けているかどうかもわからないのに替える気にならないのは

自分でも重症なんだと和磨は自覚していた。

 

唯の事を忘れないと……と思いつつ、もちろん春バージョンもDVDに撮った。

 

(俺は……きっとかなりの重症だ……)

 

そんな重症の和磨に追い討ちをかけたのは今回の春バージョンで使われているBGM。

いつもはクラシックの曲を唯がピアノ演奏していたが今回は違った。

春は“出会い”と“別れ”の季節。

という事で、“別れ”をイメージしてなのか男性ソロアーティストの『初恋』という曲を

唯がピアノで弾き語りをしている。

 

なぜ“出会い”ではなく、“別れ”なのか?

切なすぎるこのメロディーラインに唯の透き通るような声と繊細なピアノが見事に調和して、

和磨の心の中まで入ってくる――。

 

 

それから数日後、例の共演の話の返事が唯の事務所から返って来た。

 

返事は……

 

“保留”

 

唯は六月に音楽院の卒業試験を受けるらしい。

その為、試験に集中したいとの事だった。

他の仕事も四月からは試験が終わるまでは入れていないらしい。

 

和磨はなんだかホッとした。

断られたら断られたでショックだったし、受けたとなるともうあの曲を聴いても唯は平気なんだな……

という感じに思えたからだ。

 

(卒業試験がなかったら……どうしてたのかな――?)

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――四月。

 

唯がカバーした『初恋』は瞬く間に話題になり、急遽シングルとして発売される事になった。

ものすごい反響らしい。

 

だが、予想外のヒットでスケジュールも組んでいない。

当然、プロモーションビデオさえまだ撮影されてもいない。

しかし、歌番組からのオファーが殺到し、卒業試験まで空けていたスケジュールも変更せざるを得なくなっていた。

学校が休みの日にプロモーションビデオとジャケットの撮影、後は歌番組の収録。

結局、四月の休みはそれで潰れる事になった。

 

おかげで唯は勉強とピアノに集中するどころか、『初恋』を何度も歌う事になり、

以前より和磨を思い出す事が多くなっていた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

そして、本来なら休みのはずの今日も収録の為、パリ市内のスタジオに来ていた。

 

朝から収録を行い、午前中はなんとか撮り終えた。

だけど午後から撮っている収録がどうしてもうまくいかない。

和磨の事を思い出すのが辛くて、橘の事を考えようとしては歌詞を間違えたり、忘れてしまったり、

あげく、ピアノのミスタッチなどを連発していた。

 

「神崎さん……少し休憩しましょう」

橘がそんな唯を見かねて近付いてきた。

 

「……はい」

唯は大きく溜め息を吐いた。

 

「……疲れましたか?」

橘はスタッフにも休憩すると伝え、熱いコーヒーを唯の目の前に置いた。

 

「……」

疲れた……。

そうかもしれない。

 

和磨の事を思い出さないようにする事に。

 

それがこんなに苦しいとは……。

 

どうしたらいいんだろう……?

 

どうすれば和磨の事を考えなくて済むのか?

 

唯は俯いたまま目を閉じていた。

すると膝の上に置いていた唯の手を大きな暖かい掌が包み込んだ。

 

唯がハッとして顔をあげると、

「無理……しなくていいと思いますよ」

隣にいる橘はそう言って、唯の手を包み込んでいた掌の力を少しだけ強くした。

 

「神崎さんの素直な気持ちで歌ってください……」

橘は唯の手を少しだけ優しく撫でると静かに立ち上がり、そのまま離れて煙草に火をつけた。

恋人であってもマネージャーという立場上、人前で目立った事は出来ない。

橘なりの精一杯の優しさだった。

 

“無理しなくていい”

 

本当はこの言葉を口にするのも辛いはずだ。

もし自分が逆の立場なら……。

 

恋人にこんな台詞を言わせるなんて最低だ。

きっと彼を傷つけている……。

 

これ以上、橘に心配は掛けられない。

傷付ける事も……。

唯は少し冷めてしまったコーヒーに口をつけ、深い溜め息を漏らした。

 

 

その頃――、

和磨達Juliusのメンバーと彼らのプロデューサー・倉本もこのスタジオに来ていた。

アルバムのレコーディングとジャケット撮影をする為、パリに来ていたのだ。

 

(今までパリでレコーディングする事はなかったのに……)

和磨はなんだかまた嫌な予感がしていた。

 

プロデューサーの倉本が今回のレコーディング場所をニューヨークからパリに突然変更したからだ。

さらに同行すると言い出したのも気になっていた。

 

だけど今回も『言葉のかわりに』は録らない。

和磨がどうしてもあの曲だけはまだ歌う気になれないからだ。

それに唯との共演が保留になっている今、倉本も何も言って来ないだろう。

 

 

和磨達がスタジオに入ると第一スタジオとそれより小さめの第二スタジオがあった。

Juliusが撮影に使うのは第二スタジオの方で第一スタジオの方でも何かの撮影だか収録だかやっているらしく、

“本番中”とフランス語で書かれているらしきランプが点灯していた。

 

そして二つのスタジオの前にある楽屋の一つに和磨達は案内された。

隣の楽屋は第一スタジオを使っている人物らしい。

 

楽屋の入口には“Yui Kanzaki”の文字。

 

(え? 唯……? 唯が隣のスタジオにいる……!)

和磨は自分の目を疑った。

 

するとその時、ちょうど第一スタジオの“本番中”のランプが消えた。

 

「おっ! グッドタイミング!」

倉本はそう言うと第一スタジオのドアノブに手を掛けた。

 

中に入ると柔らかい色の照明が中央に置かれたグランドピアノを綺麗に映し出していた。

何十人ものスタッフとテレビカメラ、マイクもあるという事はテレビの収録だろうか?

 

(唯はどこだろう……?)

和磨はスタジオの中をぐるりと見渡した。

すると、遠く離れた所に唯が座っているのが見えた。

 

(休憩中かな?)

唯は少し俯いていてなんだか元気がなさそうだ。

少し痩せたようにも見える。

 

「橘」

倉本は和磨達から少し離れた所で煙草を吸っていた唯のマネージャー・橘に声を掛けた。

 

「倉本さん」

橘は少し驚いた表情を浮かべ、煙草を灰皿に押し付けると、和磨達の方へ近付いて来た。

 

「お久しぶりです」

倉本に笑みを向ける橘。

 

(知り合いだったのか……?)

 

「おぅっ」

倉本はそう言って軽く挨拶を交わすと「おたくの姫は?」と訊いた。

 

「今、あちらで休憩してます」

橘は唯に視線を向けた。

 

「なんか元気なさそうだな?」

倉本は橘の視線の先にいる唯に目をやり、首を傾げた。

 

「この間、Kazumaと姫が撮られてたし、共演の話もあるからちょっと挨拶しておこうかと思ったんだけど」

倉本はそう言うと、橘にJuliusのメンバーを紹介した。

 

橘と倉本はどうやら大学の先輩後輩の仲らしい。

 

(……てゆーか、そーゆーコトだったのか)

倉本は多分、唯が今日このスタジオに収録に来ている事を知っていた。

ここで唯と会えなくても後で橘と連絡でも取って唯と会うつもりだったんだろう。

 

それでパリ……。

 

(この策士め!)

 

「橘さん」

和磨が心の中で倉本に向けて言ったところで、後ろから橘を呼ぶ声がした。

 

「澤田さん」

橘は振り返るとその人物を事をそう呼んだ。

 

「こんにちは、ちょっと見学に来ました」

澤田と呼ばれたその男は橘の目の前に来るとにっこり笑って会釈をした。

 

(この男……唯の……)

それは数ヶ月前、和磨が週刊誌で見た男・澤田祐介だった――。

 

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