漆黒の翼 -2-

 

 

――その二日後。

 

ユウリがキノコ狩りから帰って来ると丸太小屋の前にラーサーが立っていた。

 

「ラ、ラーサー様っ!?」

ユウリは驚きながらもラーサーに声を掛けた。

 

「ユウリ、もう歩けるのか……?」

ラーサーはユウリの声に振り返り、姿を認めると驚いたように口を開いた。

 

「は……はい」

ラーサーが驚いたのも無理はない。

ユウリは一昨日、ラーサーが帰った後、自分が持っている癒しの力で足の傷を治していたからだ。

 

 

丸太小屋の中へ案内され――、

「あんなに深かった傷が……」

ラーサーはユウリをベッドに座わらせると右足の脹脛を不思議そうに見つめた。

狼の鋭い牙の痕や傷が綺麗に消えていたからだ。

 

「と、ところで……ラーサー様、どうしてここへ……?」

ユウリは恥ずかしそうに右足を隠しながら言った。

 

「実はあの後、君の事が心配でね。本当は城に仕えている宮廷医を連れて来られればよかったんだが、

 規則で宮廷医を城の外へ連れ出す事は基本的に禁じられてるんだ。

 だからエリクサーを調合して貰って来た」

ラーサーはそう言いながらオレンジ色をした液体が入った小瓶を出した。

 

「……態々私の為に……ですか?」

 

「あぁ、傷も深かったし、治らない事には何も出来ないだろうと思ってね。

 昨日にでも来たかったんだが、ちょっと討伐に出ていて……あ、それと……これ、序でに持って来たんだ」

ラーサーは更にパンや果物、野菜、干し肉、魚、卵、ミルクやチーズ、バター等

たくさんの食材をテーブルに並べた。

 

「こ、こんなに……?」

 

「あの足じゃ当分動けなくて困るだろうと思って……でも、綺麗に治っているし、

 妖術師にでも来て貰ったのか?」

 

「え? あ、はい……」

まさか『自分で治しました』とは今更言える筈もない。

 

「そうか。それならよかった」

ラーサーは安心したように微笑んだ。

 

「すみません……いろいろと心配までして頂いて……」

ユウリはラーサーがここへ来る事はもうないだろうと思っていた。

それだけに彼の心遣いをとても嬉しく思っていた。

 

「いや、気にする必要はない。

 だが、森の中は危ないから気を付けるんだよ?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「それじゃ」

ラーサーは静かに立ち上がり、丸太小屋を出た。

 

ユウリは馬に跨り城の方へと去って行くラーサーの後姿をいつまでも見送っていた――。

 

 

しばらくして――、

「ユウリ様?」

外から帰って来たジョルジュの声が頭上から聞こえ、ユウリはハッとした。

 

「どうかされましたか? こんな所でボーッとして」

 

「え? べ、別に……ボーッとなんかしていないわよ?」

 

「そうですか?」

ジョルジュはユウリの様子にやや首を傾げながら丸太小屋の中へ入った。

 

「ユウリ様……この食材は一体……?」

ジョルジュはテーブルの上に置かれているたくさんの食材を見て驚いた。

 

「あ、それね……先程ラーサー様がお見えになって持って来て下さったの」

 

「ラーサー様が?」

 

「えぇ、なんか……私の事を心配して下さっていたみたいで……、

 あの怪我じゃ当分動けなくて困るだろうからって」

 

「なるほど……」

 

「まさか、ラーサー様が来て下さるなんて思ってもみなかったわ」

 

「そうですね……それで、あの傷の事はどう説明されたのですか?」

 

「ラーサー様が『妖術師にでも来て貰ったのか?』って仰ったから、そのまま『はい』って答えちゃった」

 

「そうですか」

 

「……人間にも……あのような優しい方がいるのね……」

ユウリは少しだけ哀しい表情を浮かべた。

 

「ユウリ様……」

彼女がここに住むようになった理由――、

それを知っている唯一の存在のジョルジュはユウリの気持ちが痛い程よくわかっていた。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――それから一ヶ月程が過ぎたある日。

 

ランディール王はラーサーと数人の騎士を共に連れ、ユウリの住むあの森へ狩りに来ていた。

 

「国王様、あまり奥まで行かれますと危険です」

いつもはそれ程奥まで入る事はないランディール王だが、今日は珍しくどんどん森の奥へ奥へと馬を進めている。

その為、一人の騎士がそう進言した。

 

「今日はラーサーも居る。大丈夫じゃ」

ランディール王は腕の立つラーサーに絶対の信頼を寄せていた。

そしてラーサーもまた、日々の鍛錬を怠らず、どんな時もランディール王を守り、期待に応えていた。

 

 

やがて――、

 

小さな泉が目の前に現れた。

そこは碧く澄んだ水が湧き出ていて、色とりどりの花が咲き乱れている何か特別な空気を感じる場所だった。

 

ランディール王一行は、そこで休憩を取る事にした。

 

「この森にもこんな場所があったんだな」

「いつもアントレア皇国との行き来に通っている森なのに、まったく気が付かなかったな」

「まぁ、こんな奥にあるのでは無理もあるまい」

ラーサーと騎士達がそんな会話をしていると、さらに森の奥の方から泉に近付いて来る人影が見えた。

 

「……ん? こんなところに……人?」

その人影を見つけた騎士達は身構え、警戒した。

 

しかし、段々と近付いて来る人影にラーサーはハッとした。

「ユウリ……ッ!?」

 

水桶を片手に持ち、歩いて来ていたのはユウリだった。

ユウリは自分の名前を呼ばれ、辺りを見回すとすぐにラーサーの姿を見つけた。

 

「ラ、ラーサー様……!?」

 

「ラーサー様、お知り合いですか?」

隣にいる騎士・レイモンがラーサーに視線を戻しながら言った。

 

「あぁ……ちょっと……な」

ラーサーはレイモンに視線を移す事無く答えた。

 

「……こんな森の中に女の子が来るなんて驚いたな。それに……君、一人で来たのか?」

レイモンはユウリの姿をまじまじと見つめた。

 

「は……はい……」

ユウリはレイモンの視線に居心地が悪そうに答えた。

普通、ユウリのような年端も行かない若い娘がこんな森の奥深くまで一人で水桶を片手に現れるなどない。

それだけにレイモンが物珍しそうな顔をしていたのだ。

 

「……もしやラーサー、この間お前が森で狼から救ったというのはこの娘か?」

ランディール王はラーサーにニヤリとしてみせた。

 

「はい、そうです」

ラーサーはランディール王にそう答えると、

「ユウリ、こちらに居られるのはランディール国王様だよ」

ユウリに言った。

 

「えっ!? そ、それは、大変失礼を致しましたっ。あの……ユウリ=マーシェリーと申しますっ」

泉の畔にある大きな岩に腰掛けている人物がランディール王である事を

ラーサーから聞かされたユウリは慌てて跪き、挨拶をした。

 

「ユウリか……よい名だな。あの時の足の傷はもう治ったのか?」

 

「はい、ラーサー様にもいろいろと良くして頂き、お蔭様ですっかり良くなりました」

 

「そうか、また何か困った事があれば何時でも城の方に相談に来るがよい」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「ところでユウリ、水を汲みに来たのか?」

ユウリがこの森で暮らしている事を知っているラーサーは何故彼女が此処へ来たのか凡その予測がついていた。

 

「はい」

ユウリは少しだけ微笑み、ラーサーを見上げた。

 

「それなら、ラーサー、手伝ってやりなさい」

ランディール王がラーサーにそう命じると、

「はい」

ラーサーはすぐに答えた。

まるでランディール王にそう言われる事がわかっていたかのようだ。

 

「あ、あの……そこまでして頂かなくても、一人で大丈夫ですから……っ」

ユウリは慌てて言ったが、目の前には既にラーサーが手を差し伸べていた。

 

「……」

ユウリは仕方なくラーサーの大きな掌の上に自分の手を重ね、静かに立ち上がった。

 

 

「……申し訳ありません」

水桶を軽々と持ち、隣を歩くラーサーにユウリは少し俯いて申し訳なさそうに言った。

 

「気にする必要はない」

ラーサーはユウリに視線を移し、優しく微笑んだ。

 

「……でも、驚きました……まさかラーサー様や国王様が泉にいらっしゃってるなんて思わなかったから……」

 

「国王様は時々、この森に狩りをしに来られるんだよ」

 

「そうだったんですか……全然知りませんでした」

 

「いつもはもっと森の入口に近い所でやるんだが、今日は何故か国王様が奥に行かれて……で、

 泉があったから休んでいたところだったんだ」

 

「そうですか……。でも、国王様もお優しい方なのですね」

 

「あぁ、国王様はどんな者にもお優しい。俺のような下の者にも……動物にだって。

 今日も狩りに来ていると言っても、ほとんど散策しに来ているようなものなんだ」

 

「狐や兎などは狩らないのですか?」

 

「あぁ、狩るとすれば狼くらいだな。人間に害がない動物は狩らないんだ」

 

「道理で……動物を狩った痕がない訳ですね」

ユウリはクスクスと可愛らしく笑った。

 

 

泉から丸太小屋まではあっという間だった。

 

「ありがとうございました」

ユウリはラーサーから水桶を受け取るとぺこりと頭を下げ、

「……あの、ラーサー様、お渡ししたい物があるのですが……」

思い切ったように切り出した。

 

「うん?」

 

ユウリは丸太小屋に入り、チェストの引き出しの奥に大事に仕舞っていた物を取り出して、

「以前、助けて頂いた時のスカーフが私の血で汚れてしまったので……、

 代わりにこれを受け取って頂けますか……?」

ラーサーの前に青いリボンが掛かった平たい小箱を差し出した。

 

ラーサーはその小箱をそっと受け取った。

 

「開けても……いいか?」

 

「はい」

ユウリがそう答えると、ラーサーは丁寧にリボンを外して小箱を開けた。

 

「これは……」

 

「何度か洗濯をしてみたのですが……どうしても血の痕が綺麗に落ちなくて……、

 お嫌でなければ使って下さい」

ユウリは数日前、城下町へ行った際、ラーサーに助けて貰ったお礼も兼ねて

自分の血で汚れてしまったスカーフの代わりに新しいスカーフを買っていたのだった。

買った後、直ぐにその足でランディール城へ届けに行こうとも考えたのだが、

どうしても勇気が湧かず、そのまま持ち帰った。

だが、もしもまたラーサーに会う事が出来たならその時はちゃんと勇気を出して渡そう――、

そう決めていたのだ。

 

「あのスカーフは返さなくていいと言ったのに……返って気を遣わせてしまったな。すまない」

 

「いいえ……そんな……」

 

「ありがとう……大切に使わせてもらうよ」

ラーサーはユウリに柔らかい笑みを向け――、

「それじゃ、また」

泉へと戻って行った。

 

“また”

 

(また……会えるのかしら……?)

ユウリはラーサーがスカーフを受け取ってくれた事にホッとしながら

彼の後姿を見えなくなるまで見送った――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

「なかなか可愛い娘じゃないか」

日没前、狩りを終えた一行が馬で城へと戻る途中、森から出た所でランディール王がラーサーに言った。

 

「は……ぁ……?」

ラーサーは何の事を言ったのかわからず、ランディール王に視線を向けながら首を傾げた。

 

「あのユウリとか言う娘の事だ」

 

「あ、ユウリ……ですか……」

 

「送って行った後、もっとゆっくりして来ても良かったのだぞ?」

ランディール王はプレゼント片手に戻って来たラーサーを思い出し、悪戯っぽい目でニヤッと笑った。

 

「な、何を仰せに……っ!?」

ラーサーは少し顔を赤くしながら慌てた。

 

「あの娘は森に一人で住んでいるのか?」

しかし、ランディール王はすぐに真顔になった。

 

「……はい、以前はアントレア皇国の城下町にいたらしいのですが、

 両親を亡くしてからはあの森に一人で住んでいるそうです」

 

「ふむ……」

 

「態々あんな森の奥に住んでいるくらいですから、何かもっと他に理由がありそうな気もしますが、

 それ以上は私も訊いておりません」

 

「そうか……」

ランディール王はそう言うと何か少し考えを巡らせていた――。

 

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