漆黒の翼 -1-

 

 

緑豊かな自然に囲まれた国――ランディール王国。

 

周辺国との争いもなく、平和主義の国。

しかし、兵力は決して低くはなく、寧ろ強大で人間界のどの国にも引けを取らない程だった。

 

そんなランディール王国の外れの森には、一人の少女がひっそりと暮らしていた。

 

少女の名はユウリ=マーシェリー。

 

魔族と有翼人の混血である彼女は背中に漆黒の翼を持っていて、普段は魔力を使い、

普通の人間と変わらぬ姿をしている。

腰の辺りまである金色の長い髪、蒼色の瞳、透き通る程の白い肌。

こんな森の奥深く、別に誰が来るという訳ではなかったが、万が一、本当の姿を誰かに見られてしまうと、

すぐに街中の噂になってしまうからだ。

それ故、人目を気にして森の奥深くに身を潜めるように暮らしているのだ。

 

ユウリは毎日、木の実やキノコを採ったり、山菜を採る為に森の中へと出掛けている。

その日、食す分だけを少しずつ森から分けて貰っているのだ。

魚等は一緒に暮らしている大白梟のジョルジュが川で獲って来ている。

因みにこのジョルジュ、梟のくせに何故か人間の言葉が喋れる。

だから、ユウリは森の中で一人暮らしといっても、それほど寂しさは感じていなかった。

 

 

そして、ある日の夕方――、

ユウリがいつものように森の中で木の実をを採っていると、背後に何かの気配を感じた。

 

「あ……」

振り向くと数匹の狼に囲まれていた。

 

グルルルルルル……ッ

 

狼達は唸り声を上げ、今まさにユウリに飛び掛からんとしている。

だが、彼女はまったく慌ててはいなかった。

森の中に入れば狼に出くわす事などたいして珍しい事ではない。

そしてユウリにとって、そこから逃げる事も簡単な事だった。

 

だって、翼を持っているのだから――。

 

今みたいにこうして狼に出くわした時などは瞬時に本来の姿に戻り、空へと飛び立つ事が出来る。

だが、ユウリが翼を広げようとしたその時――、

「……っ」

狼達の背後に人影が見えた。

ユウリは咄嗟に姿を変えるのを止めた。

 

すると、その一瞬の隙をついて一匹の狼がユウリに飛び掛かって来た。

 

「きゃっ!?」

ユウリが避けようとした時には遅く、狼は彼女の右足の脹脛に鋭い牙を立てていた。

 

(逃げられない……っ!? もう駄目!)

ユウリがその場に倒れ込み、ギュッと目を瞑った瞬間――、

 

キュウゥ……ッ

 

呻き声を上げてユウリに噛み付いていた狼がどさりと崩れ落ちた。

その背中には短剣が突き刺さっている。

 

「大丈夫かっ!?」

短剣が飛んで来たと思われる方向から声が聞こえ、ユウリがハッと顔を上げると、

一人の騎士が馬から降りて駆け寄って来ていた。

白いサーコートとマントを身に着けた長身の騎士は鞘から剣を素早く抜き、まだ数匹残っている狼に向けた。

 

狼達の攻撃の矛先は騎士へと向けられ、恐ろしい程ギラギラとした眼で騎士の姿を捕らえると一匹の狼が飛び掛かり、

その後に続いて次々と騎士に向かって狼達が飛び掛かっていった。

 

「っ!?」

ユウリは声にならない声を上げた。

 

しかし、その騎士は狼達をもろともせず、剣で捌いていく。

次々と地面に倒れてゆく狼。

素早い動きでいとも簡単に狼達を片付けた。

 

「君、怪我は? 大丈夫か?」

騎士は足に怪我を負い、動けなくなったユウリの目の前に心配そうな顔で跪いた。

 

「は……はい」

実際、ユウリにとってこんな怪我などたいそうな事ではなかった。

有翼人は元々、癒しの力を持っており傷や病気を治す事が出来る。

そして、魔族と有翼人の混血であるユウリにもまたその力があった。

しかし今、目の前で心配そうにユウリを見つめている騎士はそんな事など知るはずもない。

 

「ちょっと見せて」

騎士はそう言うとユウリに噛み付かれた足を見せるように促した。

 

「こ……これくらい、大丈夫です」

 

「何を言ってるんだっ、ちゃんと手当てをしないと」

騎士はそう言いながら首に巻いていたスカーフを外し、口笛で馬を呼び寄せると、

鞍上に載せていた荷物の中から水筒を出して水を含ませた。

 

「ちょっと沁みるよ」

ユウリの血が滲んだ足をなるべく痛くないようにそっとスカーフで拭い、傷の深さを確認した。

 

「結構深いな……」

ユウリの足の傷からはまだ血が流れていた。

 

騎士はユウリの足に止血作用のある薬草をスカーフで巻きつけると、軽々と彼女を抱き上げた。

「家まで送っていくよ、どこ?」

 

「えっ!? あ、いえ、大丈夫ですっ」

ユウリが慌てて言った時には既に遅く、馬に乗せられていた。

 

「その足じゃ歩けないだろ?」

 

「……」

確かに“今は”歩けない。

ユウリはまさかここで本来の姿を見せる訳にもいかず、黙ってそのまま騎士の言うとおりにする事にした。

 

「そういえば……まだ名乗っていなかったな。俺はラーサー=シルヴァン、君は?」

 

「……ユウリ=マーシェリー……です」

 

「ユウリか……可愛い名前だね。宜しくユウリ」

ラーサーはユウリに柔らかい笑みを向け、腕の中に彼女の華奢な体をしっかりと抱きかかえるようにしながら手綱を取ると、

ゆっくりと馬を歩かせ始めた。

 

「……あ、あの……ラーサー様はもしや王立騎士団の方……ですか?」

ユウリはラーサーが持っている紋章が刻まれた盾に目を向けた。

その盾に刻まれている紋章はまさしくランディール王国の王立騎士団にしか許されていない紋章だった。

 

「あぁ、そうだよ」

 

「どうして……こんな森の中に……?」

 

「王の使いで隣のアントレア皇国に書簡を届けた帰りなんだ。

 アントレア皇国へはこの森を抜けるのが一番早いからね」

 

「あの……それでは、私などに構っていたりなんかしたら、お城に戻るのが遅くなるのでは……っ?」

 

「気にする必要はない」

 

「で、でも……」

 

「我が君主、ランディール王はそんな事でお怒りになったりはしない。

 寧ろ、困っている民を放って城へ戻る事の方が許されない」

 

「……」

 

「だからといって、君を助けたのは俺自身の意思でもあるんだからな?」

ラーサーはユウリの顔を覗き込んだ。

 

自分と同じ金色の髪に深く蒼い瞳、鼻筋の通った端整で少し大人びた顔立ちのその騎士の瞳に

ユウリは思わずドキリとして無言で頷いた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

「あ……ここです」

ユウリを助けた場所から更に奥へ進んだ場所に小さな丸太小屋があった。

ユウリはその丸太小屋の前でラーサーに馬を止めさせた。

 

「こんな森の奥に住んでるのか?」

ラーサーはユウリがてっきり城下町に住んでいると思っていたのか、驚いた表情をしている。

 

「以前はアントレア皇国の城下町に住んでいたのですが、両親が亡くなってからはここに住んでいるんです」

 

「それじゃあ……今、君一人でここに?」

 

「はい……あ、でも、正確には一人じゃないんです」

 

「……?」

ユウリの言葉に首を捻ったラーサーだったが、その意味がわかるのにそう時間は掛からなかった。

 

まだ歩く事が出来ないユウリを抱きかかえ、丸太小屋の中へ連れて行くと――、

「ユウリ様っ、どうされたのですかっ!?」

何処からか声が聞こえた。

 

「あ……た、ただいま、ジョルジュ」

ユウリはその声に少し慌てながら応えた。

 

ラーサーはベッドにユウリを下ろしてやった後、丸太小屋の中を見回した。

ベッドとテーブル、イス、チェスト、後は部屋の隅にある止まり木。

その止まり木から彼女の目の前に舞い降りた一羽の大白梟。

後はそれ以外は何もないし、自分とユウリ以外誰もいない。

 

「誰と話しているんだ?」

ラーサーはユウリが誰に『ただいま』と言ったのかわからなかった。

 

「……ユウリ様、このお方は?」

 

「……え……?」

ラーサーは目の前にいる大白梟から聞こえた声に驚いた。

 

(いや……まさか……な?)

 

「ジョルジュ、この方はラーサー=シルヴァン様よ。

 先程、私が森の中で狼達に襲われていたところを助けて下さったの」

 

「狼に……? そうですか」

 

「うわっ!? 梟が喋った……?」

ラーサーは大白梟が喋っている事に度胆を抜かした。

 

「ラーサー様、こちらは私と一緒に暮らしているジョルジュです」

ユウリはまだ驚いたまま固まっているラーサーに、至って“普通”に大白梟のジョルジュを

恰も人間のように紹介した。

 

「ラーサー様、ユウリ様が危ないところを助けて頂きありがとうございました」

そして、そのジョルジュもまた、“普通”にラーサーに礼を述べた。

 

「あ……いや……大した事ではない」

ラーサーはユウリからジョルジュを紹介されてもまだ“梟が喋った”という事に驚きを隠せないでいた。

 

「ラ、ラーサー様……そんなに見られては……」

ジョルジュが少し気恥ずかしそうに言った。

ラーサーがまじまじとジョルジュを見つめていたからだ。

そんな二人……いや、一人と一羽の様子を傍で見ていたユウリはクスッと笑った。

 

「まるで……人間みたいだな」

 

「ラーサー様が驚くのも無理はありません。ジョルジュには特別な能力があるんです」

 

「特別な能力……?」

 

「はい……、と言っても喋れるだけですけれど」

 

「喋れるだけって……それ、すごい事だけど?」

 

「ふふふ、そうですね」

 

ラーサーは口元に手を当てて笑ったユウリの笑顔にドキ――ッとした。

「あ……と、それじゃ、俺はそろそろ帰るよ」

それを悟られないように退散を決める。

 

「えっ!? まだ何もお礼をしていないのに……」

 

「お礼なんてそんな、王立騎士団の騎士として……と言うより、人として当たり前の事をしただけなんだから」

 

「でも……」

 

「いいから、いいから……あ、そうだ。それとこれ、忘れるところだった」

ラーサーはドアに向かって歩き出していた足を止め、羊皮紙に包まれた何かをユウリに手渡した。

 

「薬草だよ。それを傷口に当てておくと治るのが早くなるから使うといい」

 

「え……あ、ありがとう……ございます……」

ユウリは一瞬、受け取るのを拒もうとしたが、仮令断ってもきっとまたラーサーに言われるがまま、

受け取らざるを得ない気がして、そのまま素直に受け取る事にした。

 

「それじゃ」

ラーサーはユウリとジョルジュに笑みを向けると踵を返し、丸太小屋を後にした――。

 

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