言葉のかわりに−第三章・4−

 

 

唯の演奏会から数日が経った四月の終わり頃の土曜日。

和磨はJuliusの練習とミーティングが終わった後、夕方から唯と会う約束をしていた。

 

待ち合わせの時間が近くなった頃、和磨の携帯に唯から電話が掛かってきた。

 

(なんか用事でも入ったのかな?)

和磨は嫌な予感がした。

 

「もしもし」

 

『あ、もしもし』

 

「ん? 唯、どうした?」

 

『ごめん、かず君。……だいぶ遅れるかも』

 

「なんか用事でも入ったのか?」

 

『うん……ちょっと今、お客様が来てて……』

 

「そっか……。じゃあ……無理そうなら明日にするか?」

 

『……いいの?』

 

「うん、明日は俺、何も予定入ってないし。それに……客を無理矢理追い返す訳にも行かないだろ?

 その方が唯も落ち着いて話せるだろうし」

和磨は苦笑いしながら言った。

 

『うん、わかった……ごめんね』

 

「いいよ。その代わり、明日は早朝からデートな?」

和磨はククッと笑った。

 

『えっ!?』

 

「ははは、嘘だよ。けど、早く会いたいから朝十時くらいに迎えに行くけどいい?」

 

『うん』

 

「ん。じゃ、明日十時に」

 

『うん、明日……』

 

電話が切れた後――、

「はぁー……」

和磨はなんで嫌な予感っていつも当たるんだろうな……と思い、溜め息を吐いた。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――翌日。

約束通り和磨は朝十時に唯の家に迎えに行った。

迎えに行くと言っても、まだ高校生の和磨は当然徒歩だが。

 

家の中から出て来た唯は嬉しそうに和磨に駆け寄った。

和磨は優しく微笑むと、唯の手を取って歩き始めた。

 

「昨日はごめんね」

唯は約束を守れなかった事を気にしているようだ。

 

「気にしなくていいよ。今日こうして早く会えたんだし」

和磨は唯の頭をポンポンと軽く撫でた。

 

「うん」

 

「急な来客だったのか?」

 

「うーん、急でもなかったんだけど、思いのほか長引いちゃって」

 

「取材かなんか?」

 

「んとね、プロダクションの人が来てたの」

 

「……っ! それって……」

(スカウト?)

和磨は“プロダクションの人が来た”と言う意味がわかっていた。

つまりはプロ契約か何かの為……と言う事だろう。

 

「この前の演奏会が終わった後にね、楽屋にプロダクションの人が訪ねて来てくれて……、

 昨日はお父さんとも話をする為にわざわざ家に来てくれたの」

 

「それで……契約したのか?」

 

「う、うん。一応契約って事になった」

実は演奏会の日、橘が帰った後にも楽屋に何社かスカウトに来た。

しかし、唯は結局、『株式会社C&R』に決めたのだった。

 

「すごいじゃないか! おめでとう!」

和磨は自分の事のように嬉しく思い、唯をぎゅっと抱きしめた。

 

「あ、ありがと」

唯は道のど真ん中で抱きしめられ恥ずかしかったものの、和磨が喜んでくれている事が何より嬉しかった。

 

「じゃ、演奏活動とか忙しくなるのか?」

 

「あ、でもそれはまだ先の話」

 

「なんで?」

 

「来年、パリのコンセルヴァトワールの試験を受けるまでは音楽の勉強に専念したいから。

 試験が終わって受かれば音楽院に通いながら、様子を見つつスケジュールを組んでいって……」

唯はそこまで言うと一旦言葉を切り、

「落ちたら演奏活動中心になるかな」

ペロッと舌を出して苦笑した。

 

「そっか……」

(試験に受かれば……パリ……か)

 

……ん?

 

けど、もし落ちたら……?

 

このまま日本にいるのかな?

 

「演奏活動ってどこを拠点にするんだ?」

 

「多分、パリ」

 

(え……)

「試験に落ちても?」

 

「うん、落ちてもまたその次の年の試験に再挑戦するから。そのまま自分で音楽の勉強をパリでしながら演奏活動」

唯はにっこり笑った。

 

「……そっか」

(て事は……唯はどの道、来年の今頃はパリに行ってるのか……)

 

「てか……、俺、思いっきり唯に先越されたな」

和磨は苦笑いをした。

 

「え!?」

唯は和磨からそんな言葉が出て来るとは思ってもみなかったのか、あんぐりと口を開けた。

 

「やばい……このまま唯に置いていかれるかも……」

和磨はちらりと唯を横目で見ると聞こえるように態とそう呟いた。

 

「演奏活動なら、かず君もしてるじゃない……ライブとか」

唯は少し困惑したように言った。

 

「それを言うなら唯は俺よりも早く、小さい頃からステージに立ってるだろ?」

和磨はそんな唯の顔がおもしろかったのかククッと笑った。

 

「で、でも、年間の回数で言うとかず君の方が上だもん」

「唯は音楽歴を見ても俺より長いし」

「そんなの関係ないもん。要するに実力だし……」

「実力というなら唯はコンクールで入賞してるじゃん」

「かず君だって、あんなにファンがいるじゃない。それって実力がある証拠じゃない?」

唯もなかなか負けていない。

 

「けど俺まだプロダクション契約とかしてないし」

 

「う……」

唯は言葉に詰まった。

 

すると和磨がにやりと笑った。

 

「あぅー……、契約したって言っても実際に活動するのはまだ先だもん。

 それに、かず君より先に行ってるとは思ってないし……」

唯は和磨を上目遣いで見上げて少し口を尖らせた。

 

「あはは、ごめんごめん。ちょっと意地悪言っただけ」

和磨はプッと吹き出しながら言った。

 

「置いて行かれるとか、そんな事思ってないよ」

 

「もぉー、かず君の意地悪っ!」

唯は言葉では怒っているものの、顔は笑っていた。

 

先を越されたとか、置いて行かれるじゃなくて離れていってしまう……。

 

和磨はそんな気がしていた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――五月の初め。

唯達の高校では何故かこの時期に体育祭がある。

学年対抗の三チームで競い、優勝しても特に何かある訳でもない。

 

午前中、唯は何も出るものはなく応援のみ。

午後からは昼休憩の後に行われる応援合戦と騎馬戦、後は最後の学年対抗リレーに出る。

香奈は午前中の障害物競走、午後は唯と同じ応援合戦と騎馬戦だ。

和磨は午前中、借り物競争と午後の騎馬戦と学年対抗リレー、

拓未は午前中の障害物競争、午後は和磨と同じ騎馬戦と学年対抗リレーだ。

 

香奈と拓未は障害物競走に出る為、スタート位置に行った。

先に女子の部、後に男子の部が行われる。

網を潜ったり、跳び箱を飛んだり、平均台の上を走ったり、ハードルを越えたり……

最後はパン食い競争のように吊るしてあるパンを口で取ってゴールする。

 

 

スポーツ万能の香奈は予想通り一位でゴールした。

 

「おかえりー」

仲良くパンを片手に戻って来た香奈と拓未に唯は手を振った。

 

「ただいまー」

一位の香奈は満面の笑みだ。

 

「惜しかったな」

和磨は惜しくも二位だった拓未にちらりと視線を移した。

 

「んーまぁ、あんなもんだろ。てか、一位になったのって陸上部の奴だし、勝てる訳がねぇ」

拓未はそう言うとさっそくパンの袋を破り、半分に分けて食べ始めた。

そしてもう半分を和磨の口に突っ込んだ。

 

 

借り物競走のアナウンスが流れ、和磨がスタート位置に向かった。

スタートして五十メートルの地点に置いてある箱の中にある紙のくじを引いて、

それに書かれている“モノ”を持ってゴールする。

ゴールにいる審査員に紙を見せて、書かれている通りの“モノ”ならそのままゴールが認められる。

通常は眼鏡だったり、ボールペンだったり、時計だったりするが、中には意地悪な“モノ”が書かれている場合があったりする。

 

和磨の番になり、黄色い声援が飛び始めた。

拓未の障害物競走の時もすごかったが、さすがに学校内で一番人気の和磨は、さらに女子生徒達の声援がものすごかった。

 

スタートした和磨は一番に箱の中のくじを引いた。

紙に書いてある“モノ”を確認すると、少し驚いたような顔をしたが、すぐに唯の方へ方向転換して走り出した。

唯の周りの女子生徒達は何かを借りに来るのだと思い、ボールペンやシャーペン、時計などを用意してキャア、キャア言っている。

 

「唯、一緒に来て!」

和磨は唯の手を取り、再びゴールに向かって走り始めた。

 

「え? ……な、何?」

唯は突然の事で何がなんだかわからない。

 

「いいから、いいから」

和磨は唯ににやりとしてみせた。

周りでは女子生徒達の悲鳴じみた声が上がっていた。

 

 

唯と和磨は一着でゴールした。

 

そして和磨は審査員に紙を差し出して、「この子」と言った。

 

審査員がマイクで書かれている内容を読み上げる。

「あなたの好きな人」

 

和磨は、まんまと意地悪な“モノ”が書かれたくじを引いたようだ。

唯は真っ赤になって俯いた。

 

和磨のゴールはそのまま認められ、女子生徒達の悲鳴が最高潮に達し、

そんな中、二人は手を繋いだまま香奈と拓未の所に戻っていった。

 

「なかなかやるねぇー、篠原くん」

そう言った香奈に和磨はニッと笑ってみせた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――昼休憩の後。

いよいよ唯が出る午後の部が始まった。

 

まずは香奈と一緒に出る応援合戦。

一年生と二年生の後、唯達三年生が出てきた。

一年生はパラパラ、二年生は学ランで応援団をやった。

三年生はチアーダンスだ。

 

背の低い唯は最前列にいた。

しかもセンターポジション。

香奈は二列目だ。

みんなお揃いの青のユニフォームを着て、手には黄色いポンポンを持っている。

いつもは長い髪をおろしている唯も、今日は体育祭だからかポニーテールにしている。

その所為か、本物のチアーガールみたいだ。

 

(あんな目立つとこにいたら、注目の的じゃねぇかっ!)

和磨の心配は的中し、男子生徒達の視線は唯に集中していた。

 

「お、唯ちゃん、いい顔してるねー♪」

少し不機嫌な顔をしている和磨の前では、相変わらずデジカメ片手に撮りまくっている拓未がいた。

 

(おぃ……っ)

和磨は拓未を背後から睨みつけた。

もちろん、後でその画像をメールで送って貰った事は言うまでもない。

 

 

応援合戦といくつかの種目が終わった後、次は唯達四人が出る騎馬戦。

和磨、拓未、香奈は下で支える騎馬役。

騎手は一番体重が軽い唯だ。

前半はなるべく攻撃を避けて逃げ回り、後半、生き残っている騎馬が少なくなったところで攻撃を開始。

 

先頭の和磨の動きがいいからか、唯は次々と相手の鉢巻を奪い取って行った。

というより、唯を狙って突進してくる騎馬や騎手を和磨達が睨みつけ、怯ませていたからだった。

おかげで三年生が圧勝となった。

 

 

そして最後の種目、学年対抗リレーになり、唯と和磨と拓未はスタート位置に並んだ。

拓未が三番目、唯が最後から二番目……アンカーの前だ。

和磨がアンカー。

つまり最後は唯から和磨へバトンタッチとなる。

 

スタートラインに最初の走者が並び、スターターピストルが鳴った。

第一走者は調子よくトップを走っていたものの、第二走者で二年生に抜かれた。

第三走者の拓未にバトンが渡され、二年生を抜き返し再びトップとなった。

しかし、唯にバトンが渡される頃には、また二年生がトップになり、その差は五十メートルくらいと結構な距離になっていた。

 

バトンを受け取った唯は全力疾走で走った。

元々、運動神経は良くはないが走るのだけは速かった。

唯はどんどん差を縮めていった。

 

(唯、走るの早っ!?)

和磨と拓未がポカンと口を開けていると、アンカーである和磨にバトンを渡す頃には逆転も可能になっていた。

 

「後は任せろ!」

和磨は唯に柔らかい笑みを向けるとバトンを受け取り、女子生徒達の黄色い声援の中、全力疾走し、二年生を見事抜き返した。

そして、そのままゴール。

 

見事、唯達三年生が一位となった。

 

「「やったーっ!」」

唯と拓未はハイタッチした。

 

 

全ての種目が終了して結果発表が行われた。

今年の三位は二年生、二位は一年生、一位は唯達三年生だった。

 

唯と和磨は借り物競争でも応援合戦でも最後の学年対抗リレーでも思いっきり目立っていた為、

体育祭以来学校ではさらに有名人となった――。

 

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