言葉のかわりに−第三章・3−

 

 

「唯ちゃん!」

翌朝、唯と香奈が教室に入るなり昨日とは打って変わって満面の笑みを浮かべた拓未が突進して来た。

 

「……え?」

唯は思わずたじろぎ、後ずさりをした。

 

「唯ちゃんのおかげだよ! ありがとう!」

いきなり唯に抱きついた拓未。

 

「な、な……何? 何……っ!?」

唯はあまりに突然の事で何がなんだかわからず、オロオロしていた。

 

「拓未! お前、何やってんだ!」

それを見ていた和磨は慌てて唯と拓未に駆け寄り、唯から拓未を引き剥がした。

 

唯の隣でポカンと口を開けて見ていた香奈は和磨の声で我に返り、

「この……、浮気者ーーーっ!!」

拓未に回し蹴りをお見舞いした。

 

ドガ――ッ!

 

「ぐはぁ……っ」

拓未は小さくうめき声をあげ、横腹を押さえてよろめいた。

香奈の蹴りが見事、拓未の横腹にクリーンヒットしたのだ。

和磨も一発蹴りを入れようとしていたが、先に香奈の回し蹴りが炸裂した為、やめたようだ。

 

「ひっでぇー……」

香奈を見上げてそう呟いた拓未は涙目になっている。

 

「ふん!」

香奈はプイっと拓未に背を向けてスタスタと自分の席へといった。

 

「も、望月くん……大丈夫……?」

唯が心配そうに拓未の顔を覗き込むと、

「今のはコイツが悪いんだから放っておけよ」

和磨がそう言い放ち、唯の手を引いて自分の席へと戻っていった。

 

拓未もヨロヨロとした足取りで席へ戻って来ると、

「香奈……誤解だ」

目の前に座っている香奈の背中をツンツンつついた。

 

香奈は振り返り、ジロリと拓未を睨みつけた。

 

 

拓未が唯に抱きついた理由は、和磨を介して聞いた唯の言葉のおかげで父親とちゃんと向き合い、

納得がいくまで話し合ってバンドでプロを目指す事を一応認めて貰えたから――と言う訳だった。

本人曰く、ハグの類のつもりだったらしい。

 

「だからって、何も抱きつく事はないだろ」

「そうよ」

和磨と香奈は結託して拓未を責めていた。

 

「あぅっ、ごめんって……」

ただただ謝るばかりの拓未……そしてその様子を見ていた唯は、

「あ、あの……そろそろ許してあげたら……?」

拓未を気の毒に思い、和磨と香奈を宥めた。

 

「「唯は黙ってて」」

和磨と香奈は同時に唯を制した。

 

「は、はいぃ……」

 

その後――、拓未はHRが始まるまで二人に謝り続けていたのだった。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――昼休憩。

 

和磨と香奈の機嫌も一応直った。

そして昼食を食べる時、唯と香奈は机の向きを変えて和磨と拓未の机とくっつけた。

 

「お、和磨が弁当持参なんて、珍しいじゃん?」

拓未が和磨の弁当に視線を移す。

 

「今日はお袋がいたから」

 

「篠原くん、いつもお弁当じゃないの?」

香奈が弁当を広げながら訊ねた。

 

「うん、コイツほとんど弁当持って来ないから」

 

「そうなんだ?」

 

「まぁ、うちはお袋がいない事が多いから」

 

「篠原くんのお母さんでお仕事何やってるの?」

 

「あー……、まぁ、所謂スッチー?」

 

「「えっ!?」」

唯と香奈は素っ頓狂な声をあげた。

 

「それって……すちゅわーです?」

 

「うん、今風で言うならキャビンアテンダントかな」

和磨はしれっとした顔で言った。

 

「「すごーい!」」

唯と香奈は顔を見合わせている。

 

「国際線?」

香奈は興味津々だ。

 

「うん、そう」

 

「じゃ、英語とかぺらぺら?」

「いろんな国とか行ったりする?」

「やっぱり綺麗? スタイルとかいいの?」

「芸能人とかにも会えたりする?」

香奈は次々と和磨に怒涛のごとく質問をぶつけた。

和磨はその勢いに圧倒され、返事も出来ないでいた。

 

香奈の質問攻めでわかった事は、和磨の母親は国際線のキャビンアテンダントで父親も国際線のパイロット。

実は和磨は帰国子女。

ロサンゼルス生まれで、アメリカ国籍も持っている。

という訳で、両親はもちろん和磨も英語がぺらぺら。

小学校三年の時に日本に帰国。

拓未とは帰国して以来の付き合いらしい。

 

和磨の両親がほとんど家にいないと言うのは外国へフライトする事が多い為だとか。

確かに、美奈子はスタイルもよく美人だ。

唯は美奈子がキャビンアテンダントと言うのも頷けた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――それから数日後の日曜日、いよいよ唯の演奏会の日。

 

いつもと少し違い、コンクールの上位入賞者だけが出演する特別な演奏会という事で、

聴きに行く和磨達も正装とまではいかないもののスーツを着ていた。

香奈も今日は白いワンピースを着てハイヒールを履いている。

 

「やっぱりイケメン四人が、びしぃーっとスーツを着て並ぶと見応えがあるわねぇー♪」

Juliusのメンバー全員が並んでいるところを見て、香奈が溜め息交じりに言った。

前回は用事あって来られなかった准と智也も今日は一緒に来ているのだ。

 

「そういう香奈も、今日は大人っぽいじゃん」

拓未は香奈にニヤッと笑って見せた。

 

「てか、ハイヒールなんてあんまり履かないから、既に足が痛いんだけど」

香奈は履き慣れていないハイヒールに苦戦し、歩きにくそうだ。

 

「まぁ、もう少しで会場に着くから頑張れ」

拓未はそんな香奈を見て苦笑した。

 

 

会場に着くと、マスコミ関係やテレビカメラ、芸能関係者と思われる人物が既にあちこちで取材をしていた。

 

「お?」

そんな中、拓未が何かを見つけたようだ。

拓未の視線の先を見ると、演奏会に出演する三人の大きなパネルが飾られていた。

コンクールで一位から三位に入賞した三人。

もちろん、三位入賞者のところは唯の写真だ。

赤いキャミソールドレスを着て微笑んでいる。

 

「おぉぉっ、唯ちゃんだ!」

智也は吸い込まれるようにフラフラとパネルに近づいた。

 

「すごく綺麗に撮れてるね」

そう言って准もパネルに近づく。

 

「やっぱドレスを着ると少し印象が変わるな?」

拓未は和磨に視線を向けながら言った。

 

「……」

しかし、和磨は拓未が話し掛けているにも拘らず、無言で写真に見惚れていた。

 

「そんなに見てると穴が開くよ?」

香奈はそんな和磨を見てケラケラと笑った。

 

 

開演時間が近くなり、和磨達は客席に入った。

舞台上と舞台の前には数台ずつテレビカメラが設置してある。

今日の演奏会は数週間後にテレビでも放送されるらしい。

和磨は絶対DVDに録って、永久保存版にしようと考えていた。

 

客席の照明が落とされ、オーケストラのメンバーが出て来た。

コンサートマスターがチューニングを行い、オーケストラの音が整ったところで

深い紫色のサテンドレスを着た唯が指揮者の後に付いて出て来た。

相変わらず舞台の上では堂々としている。

 

唯は和やかに一礼し、ピアノの前に座ると指揮者とアイコンタクトを交わしてゆっくりとピアノを弾き始めた。

 

ラフマニノフ『ピアノ協奏曲 第二番 ハ短調』

 

ピアノ協奏曲というジャンルの中でも、人気の高い作品の一つ。

わかりやすい旋律美が魅力ではあるが難曲でもある。

……と、唯が言っていた。

 

確かに綺麗で耳に残るアルペジオはクラシックにはあまり詳しくない和磨達にも聴きやすく、

途中から入ってくる管弦楽がより一層美しさを感じさせた。

唯の言っていた通り、第一楽章に続いて第二楽章、第三楽章ともに綺麗な旋律が印象的だった。

 

 

演奏が終わると歓声とともにスタンディングオベーションが沸き起こった。

唯は笑顔で立ち上がると、歓声と拍手に応える様に数回お辞儀をした。

指揮者やコンサートマスターと握手を交わした後、舞台袖に下がってからも拍手は鳴り止まず、

何度も舞台に出て来てはお辞儀をする。

 

「すごい……」

和磨の口から思わず出た言葉だったが、香奈や拓未達も「うん」と言って頷いていた。

 

いつまでも鳴り止まない拍手と歓声。

舞台の上にいる笑顔の唯はものすごくキラキラして見えた。

和磨は嬉しい反面、寂しい気持ちもあった。

 

多分……、これはほんの序の口。

唯が目指している世界はもっと広くて、大きくて、輝いていて――。

 

きっとパリに行ってしまえば今感じているよりも、もっと遠い存在になってしまうような気がした。

 

 

そうして、何度目だったか客席の拍手に応える為、再び舞台に出てきた唯は一礼した後、ピアノの前に座った。

 

(アンコール……?)

 

まさかアンコールがあるとは思わなかった。

客席が静かになったところで唯はゆっくりとピアノを弾きはじめた。

 

ドラマティックで少し悲しげな旋律、長くはない曲だけれど客席を魅了するには十分だった。

 

そしてアンコール曲を弾き終えた唯はまた何度も拍手と歓声に応えた後、舞台の袖に消えていった――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

次の演奏者の前に十五分間の休憩があるとアナウンスがあり、和磨達は唯の楽屋へ向かった。

 

唯は楽屋の前で、指揮者やオーケストラのメンバーと話をしていた。

 

「唯」

香奈が名前を呼ぶと、唯は嬉しそうに手を振って近付いて来た。

 

「みんな来てくれてありがとう」

そう言って微笑んだ唯の顔はやっぱりいつもと一緒だった。

 

「唯ちゃん、この後取材とかあるんだろ?」

拓未はさっそくデジカメを片手に持っている。

 

「うん」

 

「んじゃ、今のうちにこっちの撮影会やっとこうぜ」

拓未がニヤリと笑った――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

演奏会が終わり、和磨達が帰った後――、

撮影と取材も終わって衣装から普段着に着替え終わると、一人の男性が唯の楽屋を訪ねて来た。

 

年齢は二十五歳くらいだろうか。

濃紺のスーツを着た男性は、唯に名刺を差し出し、

「初めまして、橘彰彦と申します」

と名乗った。

受け取った名刺には、『株式会社C&R』と書かれている。

 

(かぶしきがいしゃしーあんどあーる……?)

 

クラシックからロックまで幅広い音楽関係の有名人を数多く抱えている芸能プロダクションだ。

橘はそこでマネージャーをしているらしい。

唯はポカンと口を開けて驚いていた。

その様子に橘はクスッと笑った。

 

「あ、あのー……」

唯は何故、大手芸能プロダクションのマネージャーと名乗るこの男性が自分の目の前にいるのかが不思議だった。

 

「神崎さんは、もうどこかのプロダクションに入ってらっしゃいますか?」

 

「あ……いえ、まだどこにも入っていませんけど……」

 

「それでしたら、神崎さんに是非、うちのプロダクションに来て頂きたいのです」

要するに橘は、唯をスカウトに来たのだ。

 

 

橘から一通り話を聞いた後、唯は申し訳なさそうに俯いた。

「あの……すぐにはお返事出来ません……」

 

「もちろん、お返事の方は今すぐではなく、ご両親ともよく話し合ってみてください」

橘は唯に柔らかい笑みを向けた。

 

「は、はい」

 

「それでは、今日のところはこれで失礼します」

橘は静かに立ち上がると、深々とおじぎをして唯の楽屋を後にした――。

 

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