漆黒の翼 -25-

 

 

――コンコンッ、

「ラーサー、入るわよ」

セシリアは少し荒っぽいノックの後、直ぐにドアを開けて中に入った。

 

「どうしたんだ? そんなに慌てて」

焦った様子のセシリアとは対照的にラーサーは書類から目を離す事も無く落ち着いた様子だ。

 

「本気なの?」

 

「何がだ?」

 

「結婚の話」

 

「なんだ、もう話がいったのか、早いな」

ラーサーは相変わらず書類に目を通しながら苦笑した。

 

「冗談にしては笑えないんだけど?」

 

「冗談ではないから笑う必要はない」

 

「ユウリの事はどうするの?」

 

「……どうするも何も、ユウリとはもう何の関係もない。気にする必要などはない」

 

「だから私と結婚するの? ユウリ以外の女性となら誰と結婚しても同じだから?」

 

「違う」

ラーサーはそう言うと、やっとセシリアの方に視線を移した。

 

「結婚をして、どうしても王妃を迎えなければならないと言うのなら、相手は君が一番良いと思ったからだ」

 

「私が王族だから?」

 

「それもある。だがもう一つ、俺が信頼出来る女性の一人だからだ。

 君とならこれから先、長い月日を共に過ごせると思ったからだ」

 

「でも、それはユウリに対する気持ちとはまったく別でしょ?」

 

「……」

ラーサーはセシリアの問いに答えないでいた。

 

「そんなので簡単に決めないでよっ」

否定をしないラーサーにセシリアはやや声を荒げた。

 

「俺だって簡単に決めた訳じゃないっ! 確かに……、君に対する気持ちはユウリとは別だ。

 それでも俺なりにいろいろ考えて決めた事だ。

 だけど、それは俺の勝手な言い分で……だから後の決断を君に委ねたんだ。

 君が俺と結婚をするのが嫌だと言うなら断ればいい。

 『龍将』の方にも無理には話を進めるなと言ってある」

 

「……わかった……」

セシリアはそう言って軽く溜め息を吐くと、

「この話はしばらく考えさせて」

書斎を後にした――。

 

 

「セシリア様」

私室に戻るとハインリッヒが待っていた。

 

「ちょっと出掛けてくる」

セシリアはそう言いながらクローゼットルームに向かった。

 

「今からですか?」

 

「えぇ、夕方には戻るから」

 

「では、護衛に誰か……」

 

「いいえ、護衛は結構よ」

 

「ですが……」

 

「一人で行きたいの」

 

「では、どちらに行かれるかだけでも」

 

「別に危険な場所ではないから。

 それと、さっきの話だけど保留にしておいて」

 

「……畏まりました」

ハインリッヒは一礼し、クローゼットルームを出た。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

「セシリア」

夕方、薄っすらと月が見えてきた頃、ようやくレッドキャッスルに戻って来たセシリアにラーサーが声を掛けた。

 

「何処へ行ってたんだ?

 ハインリッヒが『セシリア様が護衛も就けずに出掛けられてしまった』って酷く心配していたぞ?」

 

「危険な場所じゃないって言ったのに。

 それに、いざとなれば転移魔法で逃げる事だって出来るわ」

セシリアは軽く溜め息を吐いた。

 

「それでも、君は王族の一人なんだ。

 もしもの事があったら……転移魔法が使えると言ったって、魔術を封じられてしまったら逃げる事も出来ない。

 剣術に関してだって君は……とにかく、これからはちゃんと護衛を就けてくれ。

 どうしても護衛を就けるのが嫌なら俺が一緒に行ってやるから」

 

「ラーサーについて来られたら余計に護衛がいるじゃないの。

 あなたは一国の国王様なんだし」

 

「俺と君の結婚話が持ち上がっている今なら、二人だけで行きたい場所があるとかなんとか上手く言って、

 城を抜け出す事くらい、いくらだって出来るだろう?」

 

「ふふっ、ラーサーも悪知恵がついて来たわね?」

セシリアはくすりと笑った。

 

「別にこんなのは悪知恵でもなんでもない。

 護衛なら何処について行ったとか、何人ついて行ったかとか一々上へ報告しなければならないし、

 記録にも残さなければならない。

 だけど、俺が一緒に行く事で黙って済む事ならそれでいいだろ?

 ……まぁ、君がどうしても俺にも内緒で行きたい所があると言うなら仕方がないけれど」

 

「……そうね、わかったわ。

 じゃあ、そういう時は今度からラーサーについて来て貰うわ」

セシリアは少し考えた後、にっこり笑い、ラーサーに軽く手を振って自室へと向かった。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――数日後。

 

「ラーサー」

夕食を済ませたラーサーが仕事の続きをしようと書斎に向かっていると、セシリアに呼び止められた。

 

「うん?」

ラーサーが振り返るとセシリアが小走りに近付いて来た。

 

「ちょっと付き合って貰いたい所があるんだけど……忙しい?」

セシリアは小声で言うと両手の指を胸の前で組み、上目遣いでラーサーを見上げた。

 

「え? あぁ、別に構わないが今からか?」

外はもうすっかり暗くなっている。

出掛けるにしては遅い時間だ。

 

「うん、どうしても行きたい場所があるの」

おねだりするようにセシリアが言う。

 

「……わかった」

ラーサーはセシリアの様子を怪訝に思いながらも護衛を就けたがらないのは何か理由があるのだろうと

敢えて訊く事はしなかった――。

 

 

そして――、

 

「……此処は……」

転移魔法でセシリアに連れて来られた場所はラーサーもよく知っている場所だった。

 

「私が戻るまでちょっと此処で待っていて?」

「はぁっ!?」

「絶対待っててね、何処にも行かないでよ?」

「え……ちょ、セシリア! おいっ!」

ラーサーが呼び止めた時には既に彼女は転移魔法でどこかへ行ってしまった後だった。

 

「……まったく……なんなんだよ……、人をこんな所に連れて来ておいて……」

ラーサーは眉間に皺を寄せながら呟いた。

そして、仕方なくその場に腰を下ろし、セシリアを待つ事にした。

 

目の前には透き通った水面に浮かぶ月……ラーサーは思わず溜め息を漏らした。

 

(ユウリ……)

 

セシリアがラーサーを連れて来た場所……それは――、

 

ランディールの森のあの泉の畔だった。

 

この場所はラーサーにとって特別な場所だ。

どうしてもユウリの事を思い出さずにはいられない。

 

(ユウリ……)

 

ラーサーは水面の月から夜空の月へと視線をやった。

 

飲み込まれてしまいそうな程の夜空。

瞬く星々の運河に浮かぶ月。

この夜空を愛しい人と眺める事が出来たなら……。

そんな事を思いながら、少しの間一人で夜空を眺めていると背後から誰かが近づいて来る気配がした。

 

「セシリア……俺をこんな所に連れて来て、一体……っ」

ラーサーはてっきりセシリアが戻って来たと思い、怪訝な顔で振り返った。

 

しかし、其処には……

 

「ユウリ……ッ!?」

「ラーサー、様……?」

振り返った視線の先に立っていたのはセシリアではなくユウリだった。

 

「何故、此処に?」

 

「セオドア様と一緒に来たのですけれど……寄る所があるからと、此処で待っているように言われたんです。

 ……ラーサー様こそ、どうして此処に?」

 

「俺もセシリアに連れて来られて、此処で待っているように言われたんだ」

 

「……」

 

「……」

 

ラーサーとユウリはしばし見つめ合い、首を傾げた。

そして、ラーサーの隣にユウリが腰を下ろした。

本当なら、この場から逃げ出したいと思っているラーサーだが、自分が戻るまで此処で待っていてくれと

セシリアに言われた為、そのまま動けずにいた――。

 

「有翼人の森での生活は、もう慣れたか?」

 

「……はい、なんとか」

 

「そうか……」

 

「ラーサー様は? 魔界での生活には慣れましたか?」

 

「……あぁ、だいぶ慣れてきたよ」

 

「そうですか……」

 

「……」

 

「……」

 

そうして、再び二人の間に静寂な空気が流れた頃、

「ユウリ様」

背後から声がし、足音と気配にラーサーとユウリが振り向くと数人の有翼人の兵士が立っていた――。

 

「っ」

ユウリは咄嗟にラーサーの陰に隠れた。

 

「ユウリ様、こちらへ」

二人の兵士がユウリを囲み、ラーサーから引き離した。

そしてラーサーも数人の兵士達に取り押さえられた。

 

「ラーサー様っ!」

ユウリは兵士達の手から逃れようともがいた。

しかし、ラーサーはユウリを助けようともしないでいるばかりか、兵士にも何も抵抗しないでいる。

ラーサー程の腕ならば兵士達に囲まれる事などはない。

なんなく倒す事も出来る。

だが、それをしないのは相手が有翼人だからだろう。

 

「嫌っ! 放して!」

ユウリは思い切り抵抗をし、あまり手荒な事も出来ずに二人の兵士は押さえるのに苦労をしていた。

 

「ユウリ……ッ」

その様子をラーサーは心配そうに見ていた。

 

「もう、よい。放してやれ」

すると、低い声が何処からともなく聞こえ、ユウリは解放されるとすぐにラーサーに駆け寄った。

 

そして、木の陰から姿を現した人物に二人は驚いた。

 

「シジスモン様……っ」

「お祖父様っ!? どうして、此処に……?」

 

「僕が呼んだからだよ」

ユウリのその質問に答えたのはシジスモンの後ろから出てきたセオドアだった。

 

「セオドア様……何故、こんな事を?」

 

「それは、私が仕掛人」

すると、今度はセオドアの後ろからセシリアが顔を出した。

 

「セシリア……ッ!?」

「セ、セシリアさ、ん……?」

ユウリとラーサーは瞠目し、言葉を失った。

そんな二人にセシリアは

「びっくりした?」

悪戯っぽい笑みを向けた。

 

「セシリア、これは一体どういう事なんだ? 説明をしてくれ」

ラーサーは直ぐに落ち着きを取り戻し、冷静な口調で訊ねた。

 

「それは、私から説明しよう」

そう言ったのはシジスモンだった。

 

そして――、

 

「ラーサー殿、このままユウリを魔界へ連れて行ってくれないか?」

意外な言葉を口にした。

 

「シジスモン様……?」

ラーサーはシジスモンが言った言葉に耳を疑い、怪訝な顔をした。

 

「ユウリは“有翼人の森”に帰ってから……まだ一度も笑っていない」

 

「え……?」

 

「最初は、ただ森での暮らしに慣れていない所為だと思っていた。

 ……しかし、日が経つにつれ、ユウリはあの頃のクララと同じ表情をするようになったのじゃ。

 ラウルとの結婚に反対をされ、会う事も許されず、即位式の後の婚礼の日までただ部屋に閉じ込められていた……。

 その頃のクララはとても哀しそうで……だが、わしはクララが女王となり、同じ有翼人の男と結婚させる事が

 クララ自身の為だと思い、見て見ぬ振りをした。

 ……それが結局、あんな事になってしまった。

 わしは、ユウリにも同じ思いをさせていたのだ。

 ラウルと一緒にいた頃のクララはとても幸せそうだったと……ジョルジュから聞いて考えさせられた。

 そんな時、セシリア殿が一人で“有翼人の森”にやって来たのだ。

 そして、セシリア殿からそなたの様子を聞き、二人を引き離すべきではないと思った。

 だから……ラーサー殿、どうかこのままユウリを魔界に連れて帰ってやってほしい」

 

「お祖父様……」

 

「……しかし、それではシジスモン様の跡を継ぐ方が……王位に就く方がいなくなるのでは?

 それに、ユウリはセオドア殿と結婚もしているのでしょう?」

 

「その心配には及ばん」

シジスモンはそう言うとセオドアに視線を移した。

 

「僕とユウリは結婚していないよ」

 

「え?」

ラーサーは驚き、『ユウリに本当なのか?』と言った顔を向けた。

 

ユウリはコクンと頷いた。

 

「最初は魔族である君をただ困らせたかった。

 シジスモン様からクララ様を奪った魔族が許せなかったんだ。

 ……だから、僕が『風の力の継承者』として君達に協力する交換条件に僕は“ユウリとの結婚”を付け加えた。

 君からユウリを奪う為にね。

 ……でも、いざリュファスとの闘いになった時、僕は火山ガスの影響で無風状態を保つのもやっとだった。

 その所為で君の援護に就く筈だったユウリやジョルジュも僕の回復に回らざるを得なかった。

 正直、リュファスの指先から炎が放たれた時はもう駄目かと思ったよ。

 だけど、君は大して役に立つ事が出来なかった僕を庇った」

 

「……」

ラーサーはセオドアの話を黙ったまま聞いていた。

 

「リュファスを倒して、森に帰ってからも、これでよかったんだと自分に言い聞かせた。

 ……でも、本当は魔族が悪い訳じゃないってわかっていたんだ。

 魔族だから、有翼人だからとか……そんなのはただの偏見で、クララ様が“有翼人の森”を出て行かれたのだって、

 ラウル様が悪い訳じゃない。

 だから結婚は見送ったんだ。

 せめてユウリが君を忘れるまではね。

 だけど、ユウリが毎晩夜中に一人で泣いているのを見て、それは無理だと思ったよ」

 

「全ては、わしの所為だ……」

シジスモンは自分を責めるかのように呟いた。

 

「シジスモン様……それは、違います。国王として、已むを得ない判断だったかと……」

 

「いや……ラーサー殿。わしは後悔しておるのじゃ。

 だから、もうクララのような思いをユウリにさせたくはない。

 わしの跡ならセオドアがおる」

 

「今はまだシジスモン様の右腕どころか肘掛け程度だけどね」

セオドオはフッと軽く苦笑いをした。

 

「ラーサー殿。ユウリの事を……宜しく頼む」

シジスモンはラーサーをじっと見据え、ゆっくりと頭を下げた。

 

ラーサーはそんなシジスモンに

「……御意」

一言だけ言い、跪いて深々と一礼をした。

 

「ではな。ユウリ」

シジスモンはユウリに優しい笑みを向けた後、セオドアと護衛の兵士達と一緒にランディールの森を後にした。

 

「私は先に戻って会議室に『龍将』を集めておくから適当に戻って来てね」

セシリアもそう言うと、転移魔法で姿を消した。

 

泉にはラーサーとユウリの二人だけが残された――。

 

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