漆黒の翼 -22-

 

 

「ラーサーッ、危ないっっ!!」

セシリアは両目をギュッと閉じて顔を背けた。

 

「うわああぁぁぁーーーっっ!!」

そして、ラーサーの激しい叫び声に耳を覆いたくなったその時、

「……なっ……」

言葉を失いかけたリュファスの声が聞こえた。

 

セシリアが恐る恐る目を開けると……

 

そこには――、

 

ベンヌの姿があった。

 

体全体が燃え盛る炎で覆われ、キラキラと光る火の粉を降らせながらラーサーの上を舞っている。

 

リュファスはというとベンヌが召喚された時に弾き飛ばされたらしく、

少し離れた所に倒れ込んでベンヌの姿を見上げていた。

 

「……」

ラーサーはよろめきながら立ち上がり、ベンヌソードを拾い上げた。

 

「ラーサー?」

セシリアはラーサーの様子がおかしい事に気が付いた。

何故ならラーサーの目は今までよりもずっと紅く、其処に意思があるように感じられなかったからだ。

 

「まさか……トランス……?」

セシリアはごくりと息を呑んだ。

 

「……っ」

リュファスは殺気に満ちているラーサーの姿に恐怖さえ感じていた。

そして、ゆっくりと一歩ずつ近付いて来るラーサーに剣を向けた。

しかし、その顔は先程までと違い笑ってはいない。

 

ベンヌはセシリアの傍らに倒れているユウリの姿を認めるとその上で大きく羽ばたいた。

 

すると紅い羽根が一枚、燃え落ちるようにユウリの体に入っていった。

 

「ん……」

ユウリは息を吹き返し、微かに数回瞬きをした。

 

「よかった……ユウリ……」

セシリアはユウリの体を支え、抱き起こした。

 

「……痛っ!」

ユウリは何が起こったのかまだ把握出来ていないらしく、自分の体に走る激しい痛みの原因がわからずにいた。

 

「ユウリ、大丈夫? 癒しの力は使える?」

 

「……は、はい……」

ユウリは苦痛な表情をしたまま、返事をすると少しずつ癒しの力で体の傷と痛みを取っていった。

 

 

「ラーサーが覚醒したわ」

セシリアはユウリが全快すると徐に口を開いた。

 

「え……?」

 

「覚醒した後、ベンヌを召喚してあなたを生き返らせたのよ」

そう言うとセシリアは上空のベンヌを見上げた。

 

「ベンヌが……?」

そして、ユウリもベンヌに視線を移し、その姿を目にすると直ぐにラーサーの姿を捜した。

 

「……ラーサー様?」

リュファスと激しく剣をぶつけ合い、火花を散らせているラーサーの眼の色にユウリは言葉を失った。

 

「ベンヌを召喚した時に……いえ……と言うより、リュファスにあなたを殺されて、感情が制御出来なくなって

 トランス状態に入ったと同時に無意識にベンヌを召喚したみたい。

 ベンヌがあなたを生き返らせたのも、恐らくはラーサーの意識と共鳴しているからだと思うわ」

 

「トランス状態……それじゃあ、ラーサー様は……」

 

「彼の目には今、リュファスしか映っていないわ」

 

ユウリはセシリアの言葉を聞き、自分の周りに広がった血だまり、そして先程までの体の痛みと傷が理解出来た。

 

「う……」

その時、セオドアの呻き声が微かに聞こえた。

 

ユウリはハッとして、セオドアに視線を移しながら再びレヴィアタンを召喚するとセオドアとジョルジュを治癒した。

 

「すまない、ユウリ……」

そう言うとセオドアは立ち上がり、再びジルフェを召喚した。

 

「……空間風遮」

セオドアがジルフェに命じ、再びレッドキャッスル全体が無風状態になった。

 

転移魔法を封じられたリュファスはトランス状態のラーサーを前に完全に不利となり、余裕さえ無くしていた。

 

ラーサーは無意識にリュファスに斬り込み続け、攻撃を受け、傷を負っても攻める事を止めない。

 

ユウリは傷だらけになりながらも尚、リュファスに向かって行くラーサーに癒しの力で治癒しようと杖を翳した。

だがしかし、トランス状態に入っているラーサーの体は一切の魔法を拒み、治癒魔法でさえも跳ね返した。

その間にもラーサーの体には新たに傷が増えていく。

 

「ラーサー様……っ」

ユウリは掠り傷一つ治す事が出来ず、その場に立ち尽くした。

 

 

やがて――、

 

ラーサーの剣先がリュファスを捕らえた。

 

「く……っ」

リュファスは完全に逃げ場を失い、歯を食いしばると抵抗を止めた。

 

ラーサーは相変わらず冷酷な眼でリュファスを見下ろしている。

 

「ま、待て……っ、俺が死んだら他の『力の継承者』から奪った武器の在り処がわからなくなるぞ?

 そ、そうなれば、お前も困るだろう?」

リュファスは喉元に剣を突きつけられ、命乞いをするかのように言った。

 

「……」

しかし、ラーサーはそんなリュファスの言葉も耳に届いていないかのようだった。

 

「言いたい事は、それだけか?」

ラーサーはまったく感情が篭っていない口調で言った。

 

「……っ」

そして、リュファスが次の言い訳を口にしようとしたその時……、

 

「貴様の忌々しきその魂……冥界へなど送ってやるものかーっ!!」

ベンヌソードがその胸元を貫いた――。

 

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!!」

リュファスの体はベンヌソードを引き抜くと同時にその傷口から燃え広がる紅蓮の炎に魂ごと焼き尽くされた。

 

「……はぁ……はぁ……う……っ」

ラーサーは、リュファスの気配がこの世から消えるとその体から放たれていた紅いオーラが消え、

トランス状態から解放されると同時にその場に倒れた。

 

「ラーサー様っ!」

「ラーサーッ!」

ユウリとセシリア、セオドアとジョルジュはラーサーに駆け寄った。

 

「ラーサー様! ラーサー様!」

ユウリはベンヌソードを握り締めたまま動かないラーサーに呼び掛け続けた。

 

ベンヌも神獣界へ戻り、

 

そして……

 

全てが終わった――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

「……ぅ、ん……」

ラーサーは眩しい光を感じ、薄っすらと目を開けた。

 

「ラーサー……、よかった……目が覚めた……」

そして、真っ先に目に入ったのはセシリアの顔だった。

 

「……セシリア……?」

 

「ラーサーったら、もう二週間もずっと目を覚まさないままだったから、凄く心配したのよ?」

 

(……二週間?)

ラーサーは未だ状況が飲み込めず、セシリアの顔をじっと見つめていた。

 

「ここは……俺の部屋……?」

ラーサーが寝ている部屋はランディール城の自室だった。

 

「そうよ……あなたのお蔭で、全てが終わったわ」

 

「全て……? じゃあ、リュファスは……」

 

「あなたが倒したのよ」

 

「俺が……? そうだっ! ユウリ……ユウリはっ?」

ラーサーはユウリがリュファスに殺された事を思い出した。

 

「ユウリは無事よ」

 

「本当かっ?」

 

「えぇ……」

セシリアはそう返事をするとユウリが殺された後、ラーサーがトランスし、覚醒してベンヌを召喚した事、

そして、ユウリを蘇生してリュファスを倒した事を話した。

 

 

「そんな事が……」

ラーサーは自分がトランスしていた間の事はまったく憶えていないらしく、右手で顔を覆いながら驚いていた。

 

「それで、ユウリは何処にいるんだ?」

 

「……」

ラーサーの問いにセシリアは答えられずにいた。

 

「ユウリは無事なんだろう?」

 

「えぇ……そうなんだけど……」

セシリアはそう答えると、

「ユウリは……もう、此処にはいないの……」

ラーサーから目線を外し、少し小さな声で答えた。

 

「じゃあ、何処にいるんだ?」

 

「……“有翼人の森”に帰ったわ」

 

「“帰った”って……」

 

「セオドアとジョルジュと一緒に……ユウリ、私達に内緒でセオドアと約束を交わしていたらしいの」

 

「約束……? なんのだ?」

 

「セオドアが私達に協力する交換条件にユウリが“有翼人の森”に戻る事……それと、

 セオドアと結婚する事が含まれていたらしいわ」

 

「……っ!」

ラーサーはセシリアの言葉が信じられず、頭の中が真っ白になった。

しかし、魔族の事をあまり良く思っていない有翼人の王・シジスモンが快くセオドアに

ラーサーに協力するよう命令したのも今となってようやく納得がいった。

 

セオドアが『風の力の継承者』という事はセシリア同様、少なくとも彼も王族なんだろうと思っていた。

そして、ユウリは女王の血を引く者……。

自分と同様、一族を導いていく立場。

 

シジスモンに席を外すように言われたあの時、ユウリとシジスモン、そしてセオドアの間で

どんなやり取りが交わされたか今になって凡その想像がついた。

 

「リュファスを倒した後、あなたを此処へ運んでから直ぐにセオドアはユウリを連れて行ってしまったわ。

 ユウリはせめてあなたが目を覚ますまでは此処にいたいって言ったんだけど……」

 

「そうか……」

ラーサーはそう言うと深い溜め息を吐いた。

 

「私もその翌日にシジスモン様に会いに行ったんだけど、結婚式の準備で忙しいからって

 ユウリには会わせて貰えなかったわ」

 

「……」

 

「ラーサーが回復したら改めてご挨拶に伺わせて頂きますとも言ったんだけど、それも断られた」

 

「もう、ユウリとは……と言うより、有翼人とは関わるなって事か」

 

「そうみたい」

 

「……なら、もういい」

 

「でも……」

 

「それに、いくらセオドア殿に協力して貰う為の交換条件だったとしても、

 一緒に帰ったという事は彼と結婚する事にユウリも納得しているんだろう」

 

「ラーサーはそれでいいの?」

 

「いいも悪いも……ユウリが決めた事だ……それに、俺とユウリは兄妹だぞ?」

そう言うとラーサーは辛そうな顔で苦笑いした――。

 

 

そうして、セシリアがラーサーの目が覚めた事を城の皆に知らせに行った後、

しばらくベッドの中で大人しく目を閉じていると廊下を走って来る足音が聞こえた。

 

……コン、コン――、

 

ラーサーの部屋の前でぴたりとその足音が止まり、ノックの音がした。

 

「はい、ど……」

ガチャ――ッ、

「ラーサーッ!」

返事をする前にドアを開け、部屋に飛び込んで来たのはエマだった。

 

「もうっ! すっごく心配したんだからっ!」

エマはラーサーが起き上がる前に抱きついてきた。

 

「ぉわっ!?」

押し倒されるラーサー。

 

「ユウリが傷を治してくれた筈なのに死んじゃったように眠ってるから、

 もうこのまま目が覚めないんじゃないかって……そればっかり考えてて……」

 

「……す、すまない」

泣きじゃくるエマにラーサーはただ謝った。

 

「私に黙ってお城を出て行ったお詫びだって、まだちゃんとして貰ってないんだからねっ?」

 

「あ、あぁ……」

 

「ラーサーが魔界に行っちゃう事だって、まだ納得してないんだからねっ?」

 

「うん……」

 

「ちゃんと……ちゃんと謝ってくれないと……笑って見送ってあげないんだから……」

 

「……うん」

 

「ラーサーのばかぁ……」

 

「……すまん」

 

「あらあら、“魔王様”も泣いてる女の子にはからっきし弱いのね?」

ラーサーがひたすらエマに謝っていると、ランディール王やクレマン、アドルフ……その他たくさんの人を引き連れて

セシリアが戻って来ていた。

 

みんな、ラーサーの意識が戻るのをずっと待っていたのだ――。

 

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