言葉のかわりに−第三章・1−

 

 

――翌日。

香奈が教室に入ると和磨と拓未が既に来ていた。

 

「おはよー」

香奈は満面の笑みで二人に声を掛けた。

 

「おぅっ! おはよ!」

拓未は香奈と目が合うと、ニッと笑った。

 

和磨も「おはよう」と香奈に返したが唯が一緒に来ていない事に首を捻った。

(あれ? 唯がいない)

 

「……唯は?」

香奈も先に来ているはずの唯がいない事を不審に思い、和磨と拓未に訊ねる。

 

「まだ来てないよ? てか、一緒じゃなかったのか?」

 

「んー、いつものごとく先に行ってて貰ったんだけど……おかしいな……」

香奈は眉間に皺を寄せた。

時計を見ると、もう少しでHRが始まる時間だ。

 

「携帯鳴らしてみる」

和磨は携帯を開き、唯に電話を掛けた。

すると廊下の方で着信音が鳴り響いているのが聞こえて来たと同時に、唯が携帯を取り出しながら小走りで教室に入って来た。

 

『も、もしもし』

 

「あれ?」

和磨はすぐ近くで唯の声がして目の前の人物に視線を向けた。

 

唯は携帯越しに『あ、おはよう、かず君』と言った。

 

和磨も携帯越しに「おはよう……」と返し、キョトンとした。

 

「何やってんだよ……お前ら」

拓未はお互い目の前にいるのにわざわざ携帯で話している二人に呆れたように呟いた。

 

「唯、遅かったね。なんかあったの?」

香奈は隣でさっそく携帯をマナーモードに切り替えている唯に話し掛けた。

 

「あ、いや……別に……」

唯は香奈に視線を移す事無く答えた。

 

「ん……? 唯……まさかと思うけど……」

すると香奈はなにやらピンと来たらしい。

 

「え……? な、に?」

 

「まさかと思うけど、二年五組の教室に間違えて行ってて遅くなった……とか言わないよね?」

香奈は唯の顔を覗き込んだ。

 

「……」

唯は香奈の視線から逃げるように俯いた。

 

(え……)

 

「唯、去年も同じ事やってたよねー?」

香奈はそう言ってクスクスと笑い始めた。

 

「だ、だって……つい、習慣で……」

唯は俯いたまま、少し頬を赤くした。

それを聞いた和磨と拓未はプーッと吹き出した。

 

「もぉー、そんなに笑わないでよー」

唯はさらに顔を赤くしながら和磨と拓未の方を振り返った。

 

「「ごめん、ごめん」」

そう言いながら結局、和磨達三人はHRが始まるまで笑い続けていた。

 

(唯って結構、ドジなトコあるんだな)

和磨は唯の可愛いドジも可笑しかったが、また新たに唯の違う一面が発見できた事が嬉しくて笑っていたのだ。

 

 

HRが終わり、さっそく授業が始まった。

今まではただただ退屈で苦痛でしかなかった授業も今日からは顔を上げれば目の前に唯が座っている。

油断をすればついつい顔が緩みっぱなしになりそうだ。

 

そんな事を考えていると、ふと隣から視線を感じた。

無言で顔を向けると拓未がニヤニヤしながら和磨を見ていた。

 

和磨は咄嗟に窓の外へと視線を外して誤魔化したが、そんな和磨を見て拓未は必死で笑いを堪えていた。

 

 

そして、この日は午後から三者面談がある為、授業は午前中で終わった。

今日は先に唯の面談、その次に和磨の面談がある。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

唯と和磨、唯の母・真由美が廊下に並べられた椅子に座って待っていると和磨の母・美奈子が来た。

 

「和磨」

ニコニコと笑いながら和磨に手を振り、近づいてくる。

名前を呼ばれ、振り向いた和磨は無言で軽く手を挙げた。

 

真由美と美奈子はそれぞれ自己紹介し、あっと言う間に仲良くなった。

おしゃべり好きに加えて気が合うのかすっかり意気投合している。

ちなみに唯と美奈子は和磨の家に遊びに行った時に既に面識があったりする。

 

 

「神崎さん、どうぞ」

三者面談が始まって三人目に担任の島田に呼ばれ、唯の面談が始まった。

 

……と思ったら、十分程であっさりと終わった。

 

(え……)

あっという間に唯の面談が終わった為、和磨は唖然としていた。

 

「次、篠原さん、どうぞー」

そして和磨と美奈子が呼ばれ、面談が始まった。

 

「篠原くんの希望進路は……ん? 進学も就職も希望なし……?」

和磨が事前に書いた希望進路票には何も書かれていなかった。

 

「まだ決めてないのか?」

島田は進学するのか就職するのかまだ迷っているのかと和磨に訊ねた。

 

「いや……じゃなくて……俺、バンドでプロになりたいから」

和磨は本気でプロになりたいと考えていた。

和磨だけじゃなく、Juliusのメンバー全員がそう考えている。

美奈子は隣で黙って聞いていた。

 

「じゃ、進学する気も就職する気もないのか?」

島田は少し困ったように和磨に問いかけた。

 

「はい」

和磨はきっぱりと即答した。

 

「だけどなぁ……プロになるって一口に言っても難しいぞ?」

 

「……はい」

 

「とりあえず大学だけは出ておいた方がいいんじゃないのか?」

その言葉は父親から何度も言われた言葉だった。

そして母親である美奈子からも。

 

「プロになれたとしても、ずっとそれで食っていけるかどうかわからないんだし」

それも散々、両親から言われた言葉だ。

 

「……わかってます」

和磨は少し不機嫌になった。

 

 

しばらくの沈黙の後、島田は黙ったまま聞いていた美奈子に視線を移した。

「ご両親は篠原くんの進路については?」

 

「先生と同じ事を言ってるんですけどね……」

美奈子は苦笑いした。

 

「そうですか……」

ハァーっと島田は溜め息を吐き、

「まぁ、まだ少し時間はあるから。もう一度ご両親とよく話し合って」

と、和磨を諭した。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

面談が終わり、和磨は美奈子と一緒に自宅に戻った。

 

「俺は……本気だから」

美奈子がリビングに続くドアに手を掛けた時、和磨が真剣な顔で言った。

 

「その話はまた後。今日はお父さんも早く帰るって言ってたから」

美奈子は軽く溜め息を吐き、和磨に優しい口調で言った。

 

「……わかった」

和磨は返事を返すと自分の部屋へと行った。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――午後七時。

美奈子が言っていた通り、和磨の父・真人が珍しく早く帰宅した。

 

そして久しぶりに家族揃って夕食を摂った後、今日の面談……つまり和磨の進路に話題が移った。

 

「やっぱりお前はどうしても大学へ行く気も、就職する気もないのか?」

真人は煙草に火をつけながら和磨に問いかけた。

 

「あぁ」

和磨は短く返事をした。

 

“とりあえず大学は出ておけ”

 

進路の話が出る度に言われてきた言葉だ。

和磨はまたどうせ同じ事を言われると思っていた。

 

 

「……」

真人は和磨の反応を見てしばらく考え込んでいたが、フゥーッと煙草の煙とともに息を吐き出し、

「お前がそこまで本気で思っているなら……やってみろ」

と言った。

 

「え……」

和磨は驚いてハッと顔を上げた。

 

「どうせ大学へ行ったとしても卒業まで待てなかったり、無事に卒業出来たとしても、

 就職したとしても、真剣に考えてるならいつかはこうやって同じ事を話す日が来るだろう?」

真人は苦笑いしながら和磨に視線を移した。

 

「だったら、やってみろ」

 

「……いいのか?」

和磨は驚いた顔のまま真人を見据えた。

 

「今までだって散々反対したのに、お前はちっとも聞かなかっただろ?

 それに本気で考えてる事なら後悔しない選択をして欲しい。

 だから、今さらもう反対もしないさ。

 ……まぁ、親としてはそれでも心配だけどな」

真人は和磨に優しい笑顔を向け、

「けど、だからと言って成績は落とすなよ? 今のお前はあくまでも学生なんだからな?」

と続け、ニヤっと笑った。

 

「うん……っ」

和磨は返事するとやっと笑みをこぼした。

 

「じゃあ、母さんももう反対はしない」

その様子を見ていた美奈子も和磨に優しく微笑んだ。

 

進路の話が終わり、美奈子はコーヒーを淹れながら

「ところで、唯ちゃんのお母さんて声楽家だったのね」

和磨に言った。

 

「あー、なんかそうらしいな」

和磨はソファーでテレビを見ながら美奈子に視線を向ける事無く答えた。

 

「“神崎”さんていうから、初めはわからなかったけど、まさかあの“藤島真由美”さんだったとはねー」

 

「え……」

和磨は美奈子に視線を向けた。

クラシックには詳しくないが“藤島真由美”という名前だけなら和磨も知っていた。

 

元々、真人と美奈子は音楽が好きで楽器こそはやらないものの、よく二人でクラシックのコンサートなどにも行っていた。

だから美奈子は“藤島真由美”の顔も知っていたし、廊下で真由美といろいろ話しているうちに

彼女が“藤島真由美”だとわかったらしい。

“藤島”と言うのは真由美の旧姓で、女性の音楽家が結婚しても旧姓のまま活動をするのはよくある話だ。

 

「“藤島真由美”って、“あの”?」

真人もその名前を聞いて驚いている。

 

「そうそう」

美奈子は真人と和磨の前に三人分のコーヒーを置き、自分もソファーに座った。

 

「結婚してからは音楽活動を控えていたみたいだけど、唯ちゃんが高校を卒業したら本格的に復帰するんだって」

 

「唯ちゃんて、和磨の彼女の?」

 

「そう、すっごく可愛い子なのよ♪」

 

「へぇー、見てみたいな」

真人は和磨に悪戯っぽい笑顔を向けた。

 

「和磨の部屋に行けば、唯ちゃんの写真が飾ってあるわよ」

美奈子は和磨ににやりとして見せた。

 

「……」

和磨は黙ったままコーヒーを飲みながら美奈子から視線を外した。

その様子を真人はククッと笑いながら見ていた。

 

「今までは部屋に女の子の写真を飾るどころか、家にも連れて来た事なかったのにね?」

美奈子はクスクスと笑った。

 

「て事は、その唯ちゃんのお父さんは……あの“神崎修一”?」

 

「……そういう事になるわねぇ」

真人と美奈子は“藤島真由美”の夫が誰なのか知っているらしい。

 

(神崎修一……? その人って……確か世界的に有名な指揮者じゃないか……?)

言われてみれば唯の家は大きい。

それに以前、香奈が地下室もあると言っていた。

グランドピアノがあって防音もバッチリだとも……。

 

(音楽一家だったのかよ……)

和磨は唯の家族の謎が解け、しかも世界的に有名な両親を持つ所謂サラブレッドだった事に驚いた。

 

「唯ちゃんの面談が短かったのは、音大にでも行くつもりで進路が決まってるからなのかしらね?」

 

「まぁ、当然音大には行くだろうなぁ」

真人と美奈子の会話を聞きながら、和磨は今まで唯と進路についてお互い話した事がないのに気が付いた。

 

(音大か……確かにあれだけ真剣にピアノをやってて、しかもあれだけの親ならまちがいなく音大に行かせるだろうな。

 その後は……やっぱり留学とかするんだろうか?)

同じ“音楽”をやっているとは言っても、クラシック界と所謂POPS界やROCK界では大きく違う。

 

自分とは違う世界に行ってしまうのか……。

 

和磨は、なんとなく唯がいつか遠い存在になってしまうような気がした――。

 

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