X Beat 〜クロスビート〜 −第一章・30−

 

 

――八月の上旬。

 

陽子との一件がまだ自分の心の中で落ち着ききっていない中、Happy-Go-Luckyのライブの日が来た。

今回は今年の春にオープンしたばかりの新しいライブハウスで、出演バンドは俺達の他に三バンドいて計四バンドだ。

 

リハを終えた俺達は本番前の腹ごしらえという訳で、すぐ近くのファミレスにみんなで入った。

 

「おなか空いた。何食べよっかなー?」

腹ペコ愛莉がメニューを開きながら言う。

 

「昼メシ食わなかったのか?」

 

「ドラム叩いてると体力を消耗するんだよ」

 

「確かに私達より一番運動量が多いかもね」

俺と一緒にメニュー表を見ながら美穂が苦笑する。

 

「ヴォーカルだって結構な運動量だぞ? 腹式呼吸してるし」

 

「そーだな」

愛莉はペコ死にしそうなのか肉料理のページに釘付けだ。

 

「俺、チキングラタンにしよっと」

 

「詩音ていつも本番前はあんまり食べないよね?」

美希と一緒にメニューを見ている千草が口を開く。

 

「あぁ、満腹状態で腹式呼吸すると俺の場合、気持ち悪くなるから」

 

「そういえば、シンもそうだったよね」

美希はメニューから目を話す事なく言った。

 

「ノリはこの間の打ち上げの前も爆食いしてたけどな」

 

「まだ腹式呼吸出来てないとか」

美穂はパスタメニューのページを捲った。

 

「いや、バッチリ出来てるよ?」

“Tylor脱退未遂事件”の数日後、ノリが俺の所に『腹式呼吸を教えてくれ』と言って来た。

それで一時期、陽子の時と同じ様に昼休憩にこっそり二人で練習していた事もあった。

ノリは同時にギターも平行して練習していたらしく、今では弾きながら歌えるようにもなったのだ。

 

「陽子の時みたいにお前が昼休みに教えたのか?」

愛莉が不意にメニューから顔を上げた。

 

「え……」

 

「夏休みの前まで昼休みに二人でギターの練習してたんだろ?」

 

「あ、愛莉、なんでそれ知ってんだ?」

別に陽子と二人で疚しい事をしていた訳じゃないが、誰にも言っていなかった事だし、

陽子と“あんな事”があったばかりだから、ついうろたえてしまった。

 

「第一スタジオの前の教室ってー、三年B組」

 

「それって……」

 

「シンのクラスだね」

美希がにやりとした。

 

「この間、シンとバッタリ会った時に聞いたんだ。けど、夏休みの前に詩音が微妙な顔で

 1スタから出て来た後、五時限が終わってからようやく陽子が赤い目をして出て来たって言ってたけど、

 お前、陽子となんかあったのか?」

 

「……」

(それじゃあ、陽子……あの後、一時間ずっと中で泣いてたのか……)

 

「まぁ、無理には訊かないけどさ」

愛莉はそう言うとまたメニューに視線を戻した。

しかし、愛莉がバラしたもんだから他のメンバーがすっかり興味津々になっていた。

 

「詩音、私は超興味があるから詳しく聞きたいなぁ〜?」

美穂がにやにやしながら言った。

 

「そ、その件につきましては、後日改めてって事でー……」

 

「後日、改まったら詳しく聞かせてくれるの?」

美希に言われ、とりあえずこの場をどうにかしたくて俺はコクコクと頷いた。

 

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

すると、ここで男性店員が来た。

俺はこの人が“救いの神”に見えた。

 

「俺、チキングラタン」

 

「はい、チキンクラタンをお一つと……」

店員はいまだメニューと睨めっこしているメンバーに視線を移す。

 

「よし! 決めた! あたしはハンバー……あっ!?」

だが、メニューを閉じた愛莉が店員の顔を見て驚きの声を上げた。

 

「……愛莉?」

そして、その店員も愛莉を見て眉根を寄せた。

よく見ると千草も驚いた顔をしている。

美希と美穂は不思議そうな顔をしているという事は千草と愛莉の二人が知っている人物だ。

 

「……あ、あたし……先に戻ってるっ」

そう言うと愛莉は突然席を立った。

 

「えっ? 愛莉っ?」

美穂が慌てて愛莉の背中に問い掛ける。

 

「愛莉ー?」

彼女は美希が呼んでも振り向かず、店を出て行った。

 

「真部さん、今もまだ愛梨と一緒にバンドやってるの?」

男子店員が千草に話し掛ける。

 

「……」

だが、千草は険しい顔をしたまま何も答えようとしない。

 

「もしかして、すぐそこに出来たライブハウスで今からライブやるの?」

再び千草に訊ねる店員。

 

「……だったら、何? まさか観に来るつもりじゃないわよね?」

珍しく角がある言い方をした千草。

 

「……」

黙る店員。

 

すると、険悪な空気が漂っている事で何かを察したのか、近くにいた別の女性店員が俺達の所に

小走りでやって来た。

「あの……っ、何か粗相がございましたでしょうか?」

 

「あ、いえ、何でもないんです」

とりあえず、そう言って誤魔化した千草。

 

「ですが……」

男子店員に視線を移す女性店員。

 

「千草と美希と美穂は何にするんだ?」

 

「あ、えっと私はカルボナーラ」

「私、オムライス」

「あたしは、ミートパスタ」

俺に促され、それぞれオーダーをする三人。

 

「えっと……カルボナーラがお一つ、オムライスがお一つ、ミートパスタがお一つですね?」

男子店員が注文を繰り返す。

 

「と、俺のチキングラタンもね」

 

「あ、は、はい」

やっぱり俺のチキングラタンのオーダーを忘れていたようだ。

危ない危ない。

 

オーダーが済むと男子店員は女性店員と共に厨房に消えた。

 

「今の知り合い?」

無表情の千草に訊ねてみる。

 

「……中学の同級生」

千草はそれ以外の事は何も言わなかった。

いつもはこういう事に一番に首を突っ込む美穂も珍しく大人しい。

千草が“もうこれ以上は訊くなオーラ”を全身から放っていたのだ。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

「俺、ちょっと寄る所があるから先に戻っててくれ」

ファミレスを出た後、何も食べずにライブハウスに戻った愛莉の事が気になっていた俺は

みんなと別れて通りの反対側にあるファーストフードに向かった――。

 

 

「ただいまー」

楽屋に戻ってみると、やはり愛莉は何も食べていない様子だった。

ライブハウスに戻る途中にコンビニにでも寄ったかもしれないと思ったが飲み物すら口にしていないようだった。

 

「愛莉、ほら」

彼女の前にファーストフードでテイクアウトした物を差し出すとゆっくり顔を上げた。

 

「なんも食ってないんだろ? ペコ死にするぞ?」

 

「……あ、ありがと」

愛莉は両手で袋を受け取った。

 

「“ハンバーグ”じゃなくて“ハンバーガー”だけど」

俺がそう言うと愛莉は少しだけ嬉しそうな顔をして、袋を開けた。

 

「私、きっと愛莉はそこのコンビニで何か買ってると思ってたんだけど、そのまま帰って来ちゃったんだね」

美希はモグモグとハンバーガーを食べ始めた愛莉を見て苦笑いをした。

 

「なんか食べる気しなくて……でも、ここで一人になって気分が落ち着いてきたら空腹感がハンパなく襲って来て

 後悔してたところにみんなと詩音が帰って来たんだ」

 

「でも、詩音て優しいね?」

「ホント、シンだとこうはいかなかったよねー」

「詩音がモテる訳がわかった」

美穂と美希、千草が笑いながら言う。

愛莉はと言うと、美味しそうにハンバーガーを頬張り、ポテトを摘み、アイスコーヒーを飲んでいた。

 

(よっぽど腹が減ってたんだな……てか、あの男、一体、愛莉のなんなんだ――?)

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

開演時間になり――、

あっという間に俺達の出番になった。

本日の出番は二バンド目。

一バンド目が中学生バンドで客が少なかったから客席の反応はいまいちだったけれど、

俺達がセッティングを始める頃には客席も騒がしくなってきた。

 

(愛莉、大丈夫かな?)

ステージの袖で円陣を組んだ時には、一応落ち着いているようにも見えた。

だが、ファミレスから出奔した事を考えると、余程その場に居たくなかったか会いたくなかった

相手だったんだろうと推察出来た。

だから、ステージに上がってからも気になっていた。

 

愛莉の方に振り返ると、いつも通りに黙々とドラムのセッティングをしていた。

 

(普通っぽいけど、大丈夫かな?)

自分のセッティングをゆっくりしながらチラチラと彼女の様子を窺う。

 

「詩音、OK?」

千草に言われ、セッティングが終わった俺はコクコクと頷いた。

 

リーダーの千草の合図でステージを隠していた幕が上がる。

瞬間――、大きな歓声と共に前列にいる子達の姿が視界に広がる。

 

そうして、幕が上がり切り、客席全体が露になった時――、

俺の視界に見覚えのある顔が目に付いた。

 

(あいつ……っ)

さっきのファミレスの店員・千草が中学の時の同級生だと言っていたヤツだった。

そいつは客席の一番後ろの右端に立っている。

 

(マズいっ、愛莉の視界に入ってしまう……っ)

一曲目は俺もギターを弾きながら歌う曲だから、中央のヴォーカルマイクからは動けない。

 

すると――、

 

ドラムの音に違和感を憶えた。

 

(愛莉、どこを叩いてるんだ?)

曲はまだBメロ。

だが、愛莉だけは明らかに別の小節を叩いていた。

だって、他のメンバーは俺と同じBメロを奏でている。

 

しかし、愛莉がCメロからサビだと思われる小節部分を叩いている事で全体に纏まりがなくなり、

とうとう演奏自体が止まってしまった。

 

「「「「……」」」」

一斉に愛莉に振り返る。

 

「あ……」

愛莉は今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「え、えーと……今のは“リハ”って事で」

ざわつく客席に俺は冗談っぽく言った。

笑いが起こる客席。

 

「俺達、意外にすっ呆けキャラだから、許してね〜?」

客席に向かってそう誤魔化すが、少し後ろにいる湯川さんだけは笑いもせず後ろを振り返っていた。

どうやら“あの男”の存在に気付いているらしい。

 

愛莉に振り返ると、下に顔を向けて俯いていた。

 

(マズいな……)

他のメンバーも不安そうな顔をしている。

 

「愛莉、俺の背中だけを見てろ」

以前にも彼女に言った言葉を再び俺は愛莉の耳元に囁いた。

 

「……」

驚きはしないものの何か言いたそうな顔だ。

 

「俺が全部受け止めてやるから、今はライブに集中しろ」

 

「……うん」

愛莉はそう返事をすると、再びドラムスティックを手に取った。

その様子に千草や他のメンバー達も安心した様子だった――。

 

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