X Beat 〜クロスビート〜 −第一章・15−
その日の夜――。
シンが帰った後、俺は東野先輩に電話を掛けた。
『はい、もしもしっ』
先輩は俺からの連絡を待っていたのか、すぐに電話に出た。
「……あの、神谷です」
『うん』
「シンと話しました」
『……うん』
「それで、あいつのお袋さんの事も聞きました」
『なんて、言ってた?』
「それが……どうもお袋さんに捨てられたらしいです」
『っ!? それって……』
「自分達を捨てた父親に段々シンが似てきて、それが辛くてシンを置いて出て行ったそうです」
『そんな……』
「だから、シンはもう自分の事は放っておいてくれって……」
『……っ』
先輩は電話の向こうで声を詰まらせた。
そうして――、
長い沈黙の後、先輩が再び口を開いた。
『実は……父が末期ガンなの……』
「っ」
『お医者様からも、もう余命何ヶ月もないって言われていて……それで、
父は最期にどうしても慎くんと慎くんのお母さんに謝りたいって……、
それに私の母が生きている時は叶わなかったけれど慎くんを認知したい、
できれば自分の籍に入れたいって言ってるの』
「先輩……」
どうして東野先輩があの時、涙を流したのかやっとわかった。
父親が余命幾許も無くて、それなのに肝心のシンは話を聞いてくれないし、
住所以外の唯一わかっている居場所である学校の軽音部でさえ何ヶ月も前に辞めていた。
それで行き詰まって、どうしていいかわからなくなっていたのだろう。
「シンは親父さんの病気の事、知っているんですか?」
『ううん……まだ何も話が出来ていなくて……』
「そう、ですか……」
『……でも、神谷くんのおかげでどうして慎くんが私の話を聞いてくれないのか、わかった……。
どんな理由であれ、父親に捨てられて、その上母親にも捨てられたら今更私や父が何を言っても
聞く耳なんて持てないよね……』
「先輩、どうするつもりですか?」
『慎くんのお母さんはともかく……せめて慎くんの事だけでも、なんとか父の願い通りに籍に入れて、
一緒に暮らせたらって思っていたけど……それはこっちの都合で慎くんにとっては身勝手な話だし……、
父には正直に話すわ……慎くんの事は諦めた方がいいって』
「でも、それじゃあ……」
『最初から都合が良過ぎたのよ、こんな話。慎くんの気持ちも考えずにただ話を聞けだなんて』
「待って下さいっ。先輩は……親父さんはそれで後悔しないんですか?
シンとすれ違ったままでいいんですかっ?」
『それは……』
「五日……いや、三日だけ待って下さい。俺、もう一度シンと話をしてみます。
もちろん、俺の口からは何も言うつもりはありません。
ただ、先輩の話をちゃんと聞くように説得してみます」
『神谷くん……』
「アイツだって本当は……辛いんだと思います。でも、今は父親にも母親にも
捨てられたって思い込んでるから心を開けずにいるんだと思います」
どうして、今までシンが誰に対しても冷めた態度や見下したような態度だったのかわかった。
人を信じていないんだ。
特に女。
いくら本音を見せても、自分を捨てた母親と同じ様にいつか自分から離れて行ってしまうんじゃないかと
思っているのかもしれない。
「アイツにも少し考える時間が必要だと思います。だから、三日だけ待って貰えますか?」
『……うん、わかった。待ってみる』
「ありがとうございます」
『ううん、私の方こそ、ありがとう』
「シンを説得出来る自信はないけど……とにかく、先輩の話を聞いて貰える様に頑張ってみます」
俺はそう言って出来るかどうかもわからない約束をして電話を切った――。
◆ ◆ ◆
翌日――、
俺は再び、シンを屋上に呼び出した。
「……あの女と話したのか?」
「あぁ」
「それで? お前が俺をここに呼び出したって事はどういう訳なんだ?」
「どうしてこの間、先輩が泣いてたのかわかった。しつこくお前を追い回してる理由も全部訊いた。
頼むから、黙って先輩の話を聞いてくれ」
「……え?」
「東野先輩には三日だけ待ってくれって言った。三日の間、お前が考えてどうしても
話を聞く気がないなら仕方が無いと思う。それでお前が本当に後悔しないならな」
「なんだよ、それ? どういう意味だ?」
「俺の口からは何も言えない。お前だって、赤の他人の俺より血の繋がった
東野先輩の口から全ての事情を聞いた方がいいだろ?」
「ずるい言い方だなー」
シンはフッと息を軽く吐き出して笑った。
「俺は話を聞いて先輩の力になりたいって思った。けど、お前の話も聞いて
同情っていう訳じゃないけど……お前の気持ちも理解出来た」
「“理解”ねぇー?」
「そう……、あくまで“理解”。だから、先輩にも三日だけ待ってくれって言った。
本当は今すぐにでも先輩の話を聞けって言いたいところだけど、そんな簡単に聞く事が出来るなら
こんな事にはなってないと思うから……」
「そうだな」
「シン、とにかく東野先輩の話をちゃんと聞いてやってくれないか?
先輩は三日待って、お前から連絡がない時はもう諦めるつもりでいる。
でも、俺はそうなったら先輩や親父さんやお袋さんが悲しむ事になるし、
お前だって絶対後悔する事になると思う」
「……お前がそこまで言うのは、どんな理由があるんだ?」
「全ては東野先輩の話を聞けばわかる。これ、先輩の携帯番号、いつでもいいから連絡くれって」
「……」
シンは俺が差し出したメモを無言で受け取った。
「三日、待つって言ったんだな?」
「あぁ」
「……わかった」
シンはそう言うと、先輩の携帯番号が書いてあるメモをポケットに仕舞った――。
◆ ◆ ◆
――数日後。
……RRRRR、RRRRR、RRRRR……、
夜、部屋でギターを弾いていると携帯が鳴った。
「はいはーい、もしもーし」
てっきりメンバーの誰かだと思い、いつもの調子で出る。
すると……、
『あ、東野です』
(げっ!?)
まさかの東野先輩だった。
「す、すいません……てっきり、バンドのメンバーかと思って着信表示も見ないで出たから……」
『ふふふ、神谷くんていつもこんな感じなんだね?』
電話の向こう、東野先輩の明るい声が聞こえた。
(……もしかして、シンから連絡があったのかな?)
なんとなく、そう思った。
『あ、それでね……実は昨日、慎くんから電話があって、さっき一緒に父の病室にも行って来たの』
「そうですかっ、よかった!」
(やっぱり、シンの奴、電話したんだ)
『それで、慎くんも私と父の話を最後まで聞いてくれて、東野の籍に入る事も一緒に暮らす事も
承知してくれたの。ただ……慎くんのお母さんはまだ見つける事が出来てなくて……、
それだけが後は気掛かりなんだけど……』
「そうですか……でも、大丈夫ですよ。これからはシンもいる事だし、先輩一人じゃないんですから」
『えぇ、そうね』
「俺も出来る事があったら協力しますから……て、こればっかりは俺が動いたところでどうにもならないか」
『ううん、神谷くんがそう言ってくれるだけで嬉しい……それに、なんだか本当に大丈夫って思える』
「そ、そうですか?」
『うん、それにね、慎くんも言ってたけど、今回の事は神谷くんが間に入ってくれなかったら、
きっと父と私だけじゃなくて自分にとっても最悪な結果になってただろうって』
「それはないですよ。先輩と親父さんの話を聞こうって最終的に決心したのはアイツ自身なんですから」
『でもね、慎くんは神谷くんだから、素直に自分の気持ちを話せたんだって言ってたわよ?』
「うーん……なんでだろう? ぶっちゃけ、俺、アイツとは本当に仲が良い訳でも
なんでもないんですけどねー?」
『きっと、神谷くんが持ってるオーラがそうさせたのよ』
「えー、俺にはオーラなんてものないですよ? あったとしてもしょぼいオーラです」
『オーラって自分にはわからないものよ?』
東野先輩はクスッと笑った。
『本当は神谷くんにちゃんと会ってお礼が言いたかったんだけど、慎くんのお母さんの事も
まだ解決していないし、慎くんが東野の籍に入る手続きとか準備があるから、会えそうもなくて……』
「そんな事気にしないで下さい。俺は全然たいした事してないんですから」
『ううん、父もすごく感謝してた。本当にありがとう』
電話の向こうの先輩の声はとても穏やかで嬉しそうだった。
彼女の柔らかい笑みが目に浮かんだ――。
◆ ◆ ◆
その翌日――、
昼休憩、教室でクラスメイトと喋っていると廊下が騒がしくなった。
(ん? なんだなんだ? 何が起きてるんだ?)
段々と俺の教室に近づいて来ている“黄色い声”。
そして、その“黄色い声の元”が俺の教室に入って来た。
「ちょっといいか?」
……と、俺の目の前にやって来たのはシンだった。
「あぁ、うん」
「詩音っ」
俺が席を立つと、美穂が引き止めた。
シンに何かされるんじゃないかと思っているらしい。
「ヘーキ、ヘーキ、別にケンカしに行く訳じゃないんだから」
そう言ってまだ心配そうな顔をしている美穂を置いて俺とシンは屋上へ向かった。
「昨夜、姉貴と親父に会って話をした」
屋上のフェンスに寄り掛かり、シンはゆっくりと話し始めた。
「らしいな。先輩からも電話があったよ」
「そっか……今回の事ではお前にいろいろと世話になったな。ありがとう」
「いや、俺は何も」
シンからこんな風にちゃんと礼を言われるとは思ってもいなかった。
「後は、お袋さんの事だけだな」
「あぁ、その事なんだが……案外、すぐに見つかりそうなんだよな」
「そうなのかっ?」
「お袋はよく祖父さんと祖母さんの様子を見に実家に戻っていたから、そこに訊けばわかるかもしれない。
今までは俺にお袋を捜す気がなかったから連絡も取ってなかったけど」
「そっか、早く見つかるとい……」
「詩音っ!!」
俺が言い掛けたところで屋上のドアが勢い良く開いて、誰かが駆け寄って来た。
「愛莉っ?」
「シン! てめぇーっ、詩音に何したんだよっ?」
愛莉は何をどう勘違いしているのか、今にもシンに殴り掛かりそうだった。
「ま、待てっ、愛莉、誤解だ!」
慌てて止める俺。
「あらぁ〜、まったく愛されてるねぇ〜? 詩音は♪」
その様子をシンはククッと笑いながら見ている。
「あ?」
すると愛莉は、シンの様子がいつもと違う事に気付き、ぴたりと動きを止めて大人しくなった。
「「「詩音っ!」」」
その直後、何故か千草や美希、美穂まで現れた。
「詩音がシンに連れて行かれたって美穂から聞いて……っ、はぁ、はぁ……」
息を整えながら千草が言う。
「美穂ー、大丈夫だって言ったじゃーん」
「だっ、だってぇー……」
ばつが悪そうな顔をする美穂。
けど、俺を心配してくれての事だから怒らないけど。
「なんか、ホントに大丈夫そうだけど……シンと二人で何話してたの?」
美希は俺とシンの顔を交互に見た。
「……まぁ、“男同士の内緒の話”だよ」
すると、シンがフッと笑って俺に目配せをしながら答えた。
「そう言う事♪」
そして、俺も笑って言った。
「それじゃ、詩音、またな」
シンはそれだけ言うと、後の処理は任せたと言う風にそそくさと屋上を後にした。
……で、残された俺はというと――、
「なぁ、ホントに何の話だったんだよ?」
「シンと詩音てあんなに仲良かったっけ?」
「てか、いつの間に仲良くなったの?」
「ねぇ、教えてよー?」
みんなに質問攻めにされる……と。
「あー、俺、次は移動授業だったー。早く戻らねぇと」
「次は普通に数学でしょ」
「バラすなよ、美穂っ」
同じクラスにメンバーがいると、つまらない嘘がすぐにバレる。
「“男同士の内緒の話”って何だよ?」
スタスタと歩く俺の背中に愛莉が問いかける。
「男同士で、しかも内緒の話なんだから言える訳ないだろ?」
「「「「ぶぅーっ」」」」
愛莉達はまだ納得がいってなさそうだったけれど、いつかシンの口から詳しい事情が
聞けるんじゃないかと俺は思った。
だから、今は俺の口からは何も言わないでおこう――。