「あっつ……」
朝、蒸し暑さで目が覚めた。
俺の部屋は扇風機しかなく、いつも窓を全開にして寝ている。
それでもこの季節は、毎朝汗だくで目を覚ますのだ。
窓際のニゲラが、ふと目につく。
(……まさか本当に逢えるなんて思わなかったな)
昨夜、俺は夢を見た。
それは一昨日、若菜を見かけたときの夢だった。
ただ、夢の中の俺は一昨日みたいに声を掛けられずに後姿を見つめているだけではなかった――。
「若菜っ」
俺が呼ぶと、若菜は足を止めてゆっくりと振り返った。
「……瑛悟」
夢の中の若菜の声は、やけにリアルだった。
「久しぶり、どうしたんだよ? そんな暗い顔して」
俺は態と軽い感じで駆け寄った。
「そ、そぉ?」
「うん……なんか思い詰めた顔してる」
「そんなことないよ?」
「なら、いいけど。なんか悩んでることがあるなら相談に乗るぞ?」
「……ありがと、大丈夫」
若菜はそう言って小さく笑った。
でも、やっぱりその顔はどこか無理をしているように思えた。
「俺の携帯番号、変わってねぇから。なんかあったら連絡しろよ?」
「うん」
「いつでもいいから」
「……うん」
そこで俺は夢から覚めた――。
「はぁー……」
声を掛けられなかったという後悔から、きっとこんな夢を見たんだろう。
俺は大きな溜め息を吐いた。
時計に目をやると、午前十時を過ぎたところだった。
朝食は今からだと遅いし、昼食には早すぎる。
(……学校行こ)
今日は、ちょうど昼過ぎから講義がある。
学食で昼食を摂ろうとシャワーを浴びて着替えていると、携帯が鳴った。
この着うたは茉莉からだ。
「もしもし」
『瑛悟? 今どこ?』
「アパートだけど……なんだよ? そんなに慌てて」
まるで昨日、若菜が自殺したと電話して来たときみたいだ。
『若菜が自殺したって……今、優から連絡があったの』
「……は?」
(若菜が自殺……て?)
「何言ってんだよ? それなら昨日、優と三人で一緒に若菜のお通夜に行っただろ?」
『え? 昨日? 瑛悟、昨日若菜と話したって自分で言ってたじゃない。瑛悟のほうこそ、こんなときに何言ってんのっ?』
茉莉は俺がふざけていると思ったのか、怒った口調で言った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……俺が若菜と話したって?」
(そんなバカな……確かに若菜を見掛けたけれど、会話はしていないはずだぞ……?)
『大学から帰る途中にバッタリ会ったって、言ってたじゃない』
「それは一昨日の話だろ? ちょうど俺の誕生日の日」
『瑛悟の誕生日は昨日だったじゃない』
「は? だって今日は八月九日だろ?」
『もうっ、瑛悟、寝惚けてるの? 今日は八月八日よ!』
(……嘘だろ……?)
不思議に思いながら、俺は昨日と同じ様に茉莉の部屋で優と合流し、若菜の実家へ行った。
若菜の実家では、昨日とまったく同じ様に通夜が営まれていた。
若菜の遺影も、若菜のご両親が泣いている姿も昨夜見た光景だ。
そして俺達がお焼香を済ませ、ご両親に挨拶をした後、優が参列者の中にいる“あいつ”を見て俺達に振り返るのも同じだった。
「おい、あいつ……」
優の視線の先には兵藤樹がいる。
(一体、何がどうなっているんだよ?)
昨日とまったく変わらない光景。
俺の記憶が確かなら、数秒後に若菜のお父さんが兵藤に殴り掛かるはずだ。
だって、ほら……俺の後ろから若菜のお父さん近づいてきている気配がしてる。
若菜のお父さんは俺の真横を通り過ぎ、兵藤を殴りつけた。
(で、「帰れっ!」って、怒鳴るんだ)
「帰れっ!」
(ほら、言った)
「「「蒼井さん!」」」
尚も兵藤に向けて拳を振り上げる若菜のお父さんを止める参列者達。
「帰れ! 二度と私達の前に現れるな!!」
(この台詞も昨日聞いた)
「…………」
昨日と同じ様に兵藤は口元を手の甲で拭き、ゆっくり立ち上がって軽く服を直すと、若菜のお父さんを一瞥してその場を去った。
(俺が夢だと思っていた出来事……若菜に声を掛けたことは夢じゃなかったということか? だとしても……茉莉が言ったとおり、俺が声を掛けても掛けなくても、若菜は自殺してたってことなのか――)
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