言葉のかわりに−第一章・7−
――翌朝。
和磨は昨夜の唯との会話を思い出していた。
ほんの少しの間だが彼女と話が出来た。
ライブも『すごく良かった』と言ってくれた。
『また来て?』と言ったら、笑顔で『うん』と言ってくれた――。
「朝から何ニヤニヤしてんだ?」
すると、不意に拓未に声を掛けられ、一気に現実へと引き戻された。
「別にニヤニヤなんかしてねぇよ」
「してたぞ」
「……」
自然と顔が緩んでいたんだろうか。
『油断した』と言わんばかりに和磨が顔を歪ませる。
その様子に拓未がにやりとした。
「なんかいい事でもあったのか?」
「別に……なんも」
「バイト先に可愛い子が入ってきたとか?」
「入ってきてねぇ」
「バイトの時給が上がったとか?」
「上がってねぇ」
「んじゃ、バイトの帰りにすっげー美人に逆ナンされたとか?」
「されてねぇ」
(でも、神崎さんには会ったけど)
「えー、じゃあ、なんだよー?」
「だから、なんもねぇって」
「そんな訳ないだろ」
「……」
「昨日、俺等と別れるまでは機嫌悪かったのに、今朝は超機嫌良さそうじゃん?」
「……気のせいだ」
「ふーん」
拓未は『本当に?』と言った感じで和磨の顔を覗き込んだ。
「なんだよ?」
「もしかして……唯ちゃん絡みか?」
拓未は鋭い。
いや、本当に……。
時々この鋭さがムカつく。
「……ち、違う」
とりあえず否定して視線を外す。
和磨の反応を見てまた拓未がニヤリと笑う。
確かに昨夜唯と会ってから機嫌が直った。
いや、寧ろ良くなった。
だが、機嫌が悪かった原因も彼女だ。
しかし、それは話がしたくても出来なかったからだ。
(なんか俺、おかしいな……前はこんな事なかったのに、なんなんだ?)
和磨はよくわからない自分の感情に首を捻った。
「おまえはまだ“自覚”してないみたいだな」
そんな和磨の顔を見て拓未がククッと笑った。
「“自覚”ってなんだよ?」
「『自分の置かれている位置・状態、また、自分の価値・能力などをはっきり知ること』……だ」
「意味を訊いてるんじゃねぇ。しかも携帯の辞書サイト見ながら棒読みするな」
「まぁ、頑張れ♪」
拓未はそれだけ言うとくるりと前を向いた。
「……」
和磨は『“頑張れ”ってなんだよ?』と言おうとしたが、さらに拓未にからかわれて終わる気がしてやめておいた――。
◆ ◆ ◆
そして放課後――、
帰宅しようと和磨が正門に向かっていると、体育館の裏へと歩いて行く唯の姿があった。
(神崎さん、何しに行くんだろ?)
体育館の裏は特に何もない。
部活で体育館を使用するバスケ部やバレー部でもボールが転がって出ない限り、行かない場所だし、
ましてや帰宅部の彼女が何か用事があって行くような場所ではない。
和磨は自然と唯の後を追っていた。
「前からずっと神崎さんの事が好きだったんだ」
(げっ!)
体育館の裏へ行くと、まさに告白シーンが展開されていた――。
(マジかよ……)
和磨は初めて他人の、しかも唯が告白されている場面を目の当たりにし、愕然とした。
「僕と……その……付き合ってほしいんだ」
和磨は二人の死角になる位置からその相手を確かめた。
(あれは……三組の岡本?)
二年三組の岡本啓太。
バレー部のエースだ。
長身で顔はどちらかと言えば和磨と違い可愛いタイプ。
その為、女子に人気がある。
「返事はすぐじゃなくていいから」
「……」
唯は黙ったまま岡本を見つめている。
というか固まっている。
そんな唯を見て、岡本は居た堪れなくなったのか、
「……じゃ、考えといて!」
そそくさと立ち去った。
唯はただ呆然としていた。
(ここは黙って見なかった事にした方がいいよな……?)
そう自分に言い聞かせ、和磨はゆっくりとその場から立ち去った――。
◆ ◆ ◆
「……」
家に帰ってからも和磨はモヤモヤした気分でいっぱいだった。
部屋で歌やギターの練習をしていても、曲を作っていても、詞を書いていても、
何をしていても先程の告白シーンが頭を掠める。
いつもなら時間を忘れるほど集中して出来る事が今日は何一つ出来ないでいた。
和磨は携帯を手に取り、メモリーから唯の番号を呼び出した。
けれど、なかなか発信ボタンが押せない。
(何も用事ないしな……)
携帯を閉じ、そのまま握り締める。
(……いや、でも、やっぱ掛けてみるか……)
携帯を開き、また唯の番号を表示させる。
けれど、やっぱり発信ボタンが押せない。
(だいたい掛けたところで何を話せばいいのか……まさかさっきの事、どうするのか訊ける訳ないしな……)
「あー、もうっ! 何やってんだ俺はっ!」
ベッドの上に携帯を投げ、溜め息を吐いた。
今までこんなに一人の女の子が気になるなんて事はなかったのに……。
どんなにファンの中に可愛い子がいても、まったく気にならなかった。
告白されて付き合う事はあったが、どの子も長続きはしなかった。
その原因は和磨自身。
告白してくるのはだいたいファンの子で他校の子だ。
その所為か普段の和磨を知らない彼女達はステージの上の“Kazuma”と“和磨”のギャップに幻滅する。
……というのは、JuliusのKazumaとしてステージに立っている時は普通にMCもするし、
明るい曲を演奏する時は笑ったりもする。
クールで無口な印象は感じさせない。
しかし、それが一歩ステージから降り、普段の和磨に戻ると途端にクールで無口な男になる。
しかも和磨は拓未のように特に女好きでもないので愛想もない。
そんな訳で普段の和磨を知っている子でも彼についていけないのだ。
“彼女”よりも先にバンドの練習やバイト、友達との約束が入ればそれを優先する。
加えて何か用事がない限り、和磨からは連絡はしないといった執着の無さ。
そんなだからもちろん去るもの追わず……。
面倒くさくなって和磨から別れを切り出すパターンも少なくない。
だけど今、つい二週間前に出会ったばかりの小柄な女の子がやけに気になる。
(てか、なんで俺こんなに気になってんだ?)
さっきの告白の事だってそもそも自分には関係のない事だ。
なのに彼女がどうするのか気になる。
もし……もしも、彼女が岡本と付き合うのだとしたら――?
そう考えただけでなんだかイラっときた。
(なんなんだ……? この込み上げてくる感情は……)
嫉妬……?
◆ ◆ ◆
――その翌日。
(……やられた)
放課後、和磨は昇降口で立ち尽くしていた。
六月に入り、梅雨も近くなってきた時期ではあるが朝は晴れていた。
ところが、今はどしゃ降りになっている。
家までの距離を考えると、走ってもずぶ濡れになる事は間違いない。
このまま雨宿りしていても止みそうにないので、一番近くのコンビニまで走って傘を買って帰ろう。
そう思い、走り出そうとした時――、
「篠原くん?」
誰かがに声を掛けられた。
「あ、神崎さん」
振り返ると唯が立っていた。
「あれ? 篠原くん、傘は?」
どしゃ降りなのに和磨が傘を持っていない事に気づいたのか、唯は不思議そうな顔をした。
「あー……、朝晴れてたから、いらないと思って持って来なかったんだ」
「えっ!? 天気予報見てないの? 今日は夕方から降水確率80%だよ?」
「マジ?」
「マジ」
和磨の反応が可笑しかったのか、唯はクスクスと笑いながら和磨の言葉を繰り返した。
「じゃあ……あの……よかったら……傘、入っていく?」
すると、彼女は少し恥ずかしそうに上目遣いで言った。
(……え?)
和磨は唯からの思わぬ申し出に驚いた。
自分は今、いったいどんな顔をしているのだろう――?
「あ……やっぱり嫌だよね? 私と相合傘なんて……」
黙っている和磨を見て唯が後悔したように言った。
その時、和磨の視界に岡本啓太の姿が映った。
昨日、唯に告白をしていた男子生徒だ。
「ありがとう、入れてもらうよ」
和磨はなるべく平静を装い、唯に微笑みながら言った。
その言葉に唯が顔を上げた。
絡み合う二人の視線。
「うん」
唯は小さく返事をして微笑んだ。
どうやら唯からは死角になっていて岡本の姿は見えていないようだ。
「傘、俺が持つよ」
「ありがとう」
和磨は唯から傘を受け取ると彼女の歩調に合わせて歩き出した。
二人の身長差は約三十センチ。
これでは、まともに傘をさすと唯の肩を濡らしてしまう。
和磨は唯の方に傘を少し傾けた。
その様子を岡本が見ていたのを和磨はもちろん気づいていた――。
「ところで上木さんは?」
正門を出たあたりで和磨はふと思った。
唯と香奈はいつも一緒に帰っているので違和感を感じたのだ。
「望月くんと一緒に帰ったよ?」
「拓未と?」
「うん」
「ふーん……」
(神崎さんを置いて帰るなんて珍しいな……ケンカでもしたのか?)
和磨はちらりと唯を横目で見る。
……だが、よくわからなかった。
それから二人は他愛のない会話をしながら歩いた。
先日みたいにお互いあまり緊張はしていない。
雨音のおかげで沈黙が訪れたとしても居心地の悪さを感じる事もなかったのだ――。
そして、あっという間に和磨の家に着いた。
「ありがとう、助かったよ」
「ううん、それより篠原くん、肩、結構濡れちゃってる……」
「あー、これくらい全然平気だよ」
和磨は小さく微笑む。
「ちゃんと拭かないと風邪ひくよ?」
すると唯が心配そうにハンカチで和磨の濡れた肩を拭き始めた。
「え……? あ、ありがと……」
和磨は顔と体が熱くなるのがわかった。
心臓の音も大きくなって、唯に聞こえてしまうような気がした。
(やべぇ……かなり顔赤くなってるかも……)
だが、和磨がどうやって動揺しているのを誤魔化そうかと考えていると、
「あ……お家に入って着替えた方が早いね」
唯が笑った。
確かにそうだ。
「篠原くん、早くお家に入って着替えて? 風邪ひいちゃう」
「大丈夫、せっかく神崎さんが送ってくれたんだから、せめてここから見送らせて?」
和磨はそう言って優しい笑みを浮かべた。
「……うん」
唯は和磨の柔らかく優しい眼差しに頷いた。
それから唯は和磨と一緒に歩いていた時と同じ歩調で歩き始めた。
振り返れば和磨が柔らかな笑みで自分を見送っている。
唯は時折、和磨の方に振り返りながら手を振った。
そして、和磨も唯の姿が見えなくなるまで見送った――。
◆ ◆ ◆
翌日――、
昼休憩、和磨は岡本に呼び出された――。