言葉のかわりに−第一章・6−
「ライブ来てくれてありがとう」
唯と香奈が目の前の座ると、先に口を開いたのは拓未だった。
「俺、香奈ちゃんに約束通り手振ったろ?」
「客席は暗いし、後ろの方にいたからもしかして気付いてないかな〜? って思ってたけど、
私と唯がいた場所がよくわかったね?」
「前座が終わった後、機材のセッティングしてる時に客席をチラ見したから」
「そうだったんだ♪」
拓未と香奈が話しているのを唯は楽しそうに聞いている。
「……」
和磨は相変わらず黙ったままムスッとしている。
「で、どうだった? 俺達のライブ」
そして拓未が少し身を乗り出し、二人に訊いた。
和磨は『俺が一番訊きたくて訊けなかった事をさらりと訊きやがった』と言った顔をした。
と言うのも、土曜日は時間が遅くて電話が出来ず、日曜日はずっと唯の携帯が繋がらなかった。
『ひょっとして態と電源を切っているのか?』と思ったくらいだ。
それでも月曜日に学校へ行けば顔くらいは見られるだろうと思っていたのに、
朝からさっそく女の子達に捕まってしまった上、唯の方から和磨の所に来る事もなかった。
放課後も彼女の教室へ行ってみたがどういう訳かいなかったのだ。
それで溜め息を吐いている間に拓未に連れられファーストフードに――、
そんな訳で今の今まで話が出来ず、イラついていたのだ。
(タイミングが悪かったのか? てか、なんで俺イラついてんだ?)
目の前では香奈が少し興奮気味に感想を話し始める。
「すごく良かったよー! 全部良かったけど、一曲目とか超好きな曲! 後、アンコールでやった曲も好き!」
「マジ? 一曲目でやった曲とアンコールでやった曲、俺も好きなんだ!」
更に身を乗り出す拓未。
「新曲も良かったよ! 特にギターソロ!」
「おおぉっ! あのギターソロは俺も特に気に入ってるんだよ! 気が合うねーっ!!」
そう言って拓未はガシッと香奈と両手で固い握手をした。
――と、同時に拓未が和磨に『おまえからも唯ちゃんに訊いてみろ』という視線を送る。
「神……」
「唯ちゃん」
そして和磨が口を開き掛けたその時、不意に誰かが彼女の名前を呼んだ。
「?」
振り向くと中学生くらいの男の子が立っていた。
「あ、ヒロくん」
唯はそう言いながらその男の子に手を振った。
(……誰だ?)
和磨がムッとした顔になる。
「僕、昨日からずっと唯ちゃんの携帯に掛けてんのに電源切ってるみたいだし、
……てか、ここの前を通ったら唯ちゃんがいたから」
(そう、そーなんだよ! 繋がらねぇんだよ! てか、誰なんだ?)
和磨は唯に『ヒロくん』と呼ばれた男子中学生の事が気になって堪らない。
「えっ!? 嘘っ?」
唯は慌てて携帯を取り出した。
「あ、ホントだ。土曜日ライブを観に行って電源切ってたの忘れてた……ごめん」
それを聞いた和磨は力が抜けた。
(おいおい……、電源切ってたのそのまんま忘れてたのかよぉ……)
「何か急ぎの用でもあったの? 家の方に電話くれればよかったのにー」
(こいつ、神崎さんの家の電話も知ってるのか)
「あー、うん。今日のレッスン代わって貰えないかと思って」
(レッスン? 何のレッスンだろ?)
「うん、いいよ。何時からだっけ?」
「六時から」
「わかった。じゃ、先生には私から言っておくね」
「ごめんね、急に。ありがと」
「気にしないで、私もレッスン代わって貰う事あるし」
「助かるよ。それじゃ、よろしくー」
そう言うと男子中学生はスタスタと去って行った。
「ごめん、急にレッスンが入っちゃったから行かなきゃ。またね」
直後、唯もそう言って立ち上がり、和磨達に手を振ってあっという間に慌しく帰って行ってしまった。
「……」
唯の後姿を無言で見送る和磨。
結局、和磨は唯と一言も話す事が出来なかった――。
「“レッスン”て、唯ちゃん何か習い事でもしてんの?」
拓未が手を握ったまま香奈に訊ねた。
「うん、唯は三才からずっとピアノを習っているの」
「へぇーっ! そーなんだ?」
(三才からずっと……。て事はさっきの男は同じ所で習ってるヤツか?)
「じゃ、もしかして絶対音感とか持ってたりすんのかな?」
「するするぅ!」
「すげぇーっ!」
(絶対音感か……すごいな)
……それよりも。
香奈と拓未はまだ握手をしたままだ。
「てか、いつまで手握ってんだ?」
このままだとずっと手を離しそうにない二人に和磨は突っ込みを入れた。
「ちっ、バレたか」
拓未はそう言ってやっと香奈から手を離した。
「あはは♪ 私はずっとこのままでも良かったけど?」
冗談なのか、本気なのか……香奈はしれっとした顔で言った。
「……俺、帰るわ」
「和磨、俺達に妬いてんのか? それとも唯ちゃんが帰ったから拗ねてんのか?」
「違うっ、バイト」
確かにバイトもあるが、半分は図星だ。
やっと話が出来ると思った矢先に想定外の邪魔が入り、一言も話せないまま彼女は帰ってしまった。
しかし、そのおかげで彼女について少しわかった事があるけれど。
三才からピアノを習っていて、絶対音感がある事。
和磨はジャンルは違うだろうけれど同じ“音楽”に携わっているという事がなんだか嬉しかった――。
◆ ◆ ◆
――その日の夜。
バイトを終えた和磨が自転車で家路を走っていると目の前を女の子が歩いていた。
背格好からして中学生くらいだろうか?
(おいおい、中学生がこんな時間にこんな所を一人歩きって大丈夫かよ?)
時間はまだ午後九時過ぎといっても、人通りが少ない場所だ。
和磨は女の子を追い越す瞬間、なんとなくちらりと横目で見た。
すると――、
「っ!?」
和磨は自分の目を疑った。
「神崎さん!?」
その女の子は唯だったのだ。
「……え? 篠原くん!?」
思わず足を止めた唯。
「「何でこんな所にいるの?」」
二人の声が重なる。
それが可笑しくてまた同時にプッと吹き出した。
「神崎さん、ピアノの帰り?」
和磨は自転車を降りると唯の隣に並んで一緒に歩き始めた。
「うん」
「『六時からレッスン』だってあの中学生の子が言ってたけど……三時間もレッスンしてたの?」
「いつもは二時間なんだけど、今日は私の後にレッスンする生徒がいなかったから、
先生の熱が入って長くなったみたい。篠原くんは?」
「俺はバイトの帰り」
「そうなんだ」
「……」
「……」
和磨と二人きり。
この状況に唯は戸惑っていた。
ずっと和磨と話がしたかったはずなのに、なかなか言葉が出て来ない。
しばしの沈黙の後――、
ようやく和磨が口を開いた。
「ライブ来てくれてありがとう」
「あ、うん」
「……」
「……」
しかし、やはり次の言葉が出て来ない。
「どう……だった?」
「……すごく良かったよ」
ようやく出て来たのはこんな在り来たりの言葉だけ。
「……」
「……」
(もっといっぱい伝えたい事があるのに……、なんて言えばいいのかな……?)
そうして、お互い次の言葉を考えていると、唯の家の前まで来てしまっていた。
「あ……、そ、それじゃ、おやすみなさい」
唯は慌てて和磨に手を振った。
「う、うん、おやすみ」
和磨も手を振り返し、唯が玄関を開けて家の中に入ろうとした時――、
「よかったらまた来て?」
背後から和磨の声が聞こえた。
(え……?)
驚きながら振り返る唯。
「ライブ……よかったらまた来て?」
すると、今度は和磨がはっきりと言った。
正直、『また来て』と言ってくれるとは思っていなかった。
和磨に伝えたい事の半分も言えないでいたからだ。
「うん!」
唯は嬉しくて思わず笑みがこぼれた――。