言葉のかわりに−第一章・5−
客席に流れていたBGMが一際大きくなって消えた瞬間――、
ドラムのTomoyaが刻むスティックのカウントとともにJuliusの演奏が始まると、
ゆっくりとステージを隠していた幕が上がり始めた。
そしてステージと客席を隔てるものがなくなる時、和磨はKazumaへと変わる。
その瞬間の緊張感は何度経験しても慣れないな……と、Kazumaはいつも感じるのだった。
ステージの後ろ側から当てられている照明の所為で、ヴォーカルマイクの前に立つKazumaの姿はまだシルエットのままだ。
そのシルエットだけを見ても彼がモデル並みの体型をしていることがわかる。
加えてあの綺麗な顔立ちに長身。
女の子達が放っておく訳がないのも当たり前だ。
そんな彼の姿に唯はすっかり釘付けになっていた。
やがて、ステージの照明が色鮮やかにJuliusのメンバー全員の姿を映し出す。
Kazumaは前髪を後ろに流している為か、いつもと違う印象を与えていた。
(うぁ……篠原くん大人っぽい……)
香奈がすぐに和磨がKazumaだと気がつかなかったのも頷ける。
衣装は黒を基調としたものをメンバー全員が着ていて統一感がある。
メインを務めるだけあってステージングはもちろん演奏も上手い。
なによりKazumaの歌声は一瞬にして唯をJuliusの世界へ引き込んだ。
(すごい……)
唯はJuliusの音楽を……Kazumaの歌声を一音も聴き逃す事のないように聴き入っていた――。
そんな彼女の姿をKazumaは歌いながら捜していた。
ステージを照らす照明で僅かだが客席が見える。
(いた)
拓未が言ったとおり、後ろの方――、しかも壁際に唯と香奈が立っているのがわかった。
しかし、唯はKazumaがまさか自分を捜している事など思ってもいない――。
◆ ◆ ◆
約一時間の演奏はあっという間に終わり、唯はKazumaがステージから去るのを眺めていた。
すると、ふっとKazumaが唯の方を向き、微かに微笑んだ気がした。
(え……、今の……私がいた事気づいたのかな?)
「ねぇ、今Kazumaくん、唯の方を見てなかった?」
隣にいる香奈も小声で言う。
「わかんない……でも、多分、私の前の方に知り合いがいたんじゃないのかな?」
「そうなのかな? でもね、私はバッチリTakumiくんと目が合ったよ♪
Takumiくんね、昨夜メールで『どこにいるか見つけたらステージを降りる時に手を振るから』って。
さっき約束通りあたしに手を振ってくれたよ♪」
ライブを観た直後だけにテンションも高く、嬉しそうな香奈。
「唯は? あれから篠原くんとは連絡取ってないの?」
「う、うん……だって、何も用事がないし」
「そ、そう……」
香奈は苦笑いを浮かべた。
その頃――、
Juliusのライブが終わり、Kazumaは楽屋でボーッとしていた。
この気持ちのいい気だるさの中、Kazumaから和磨に戻る瞬間でもある。
そしてしばらくすると外がざわついてきた。
おそらくファンの子達が裏口で出待ちをしているのだろう。
(神崎さんは、もう帰ったんだろうな……)
和磨はタオルでワシワシと頭を乱暴に拭きながら携帯を開いた。
「……」
しかし、またすぐに閉じた。
(なんて言って掛ければいいんだろ?)
いざ電話を掛けようと思うとどう話せばいいのかわからない。
(てか、ここ電波届かないんだった)
だが、話したい事は唯一つ。
俺達のステージを彼女はちゃんと観てくれていただろうか?
どう思っただろうか――?
◆ ◆ ◆
三十分後――、
唯と香奈は混雑を避けてライブハウスからほとんどの人が出るのを待った後、裏手にある楽屋口へ行ってみた。
すると、そこは既にファンの子達が大勢いてメンバーが出て来ているのかどうかすらわからない状態だった。
「あー、やっぱ、いっぱいだぁー」
香奈が残念そうに呟く。
「出待ち?」
「うん、みんなメンバーが出て来るの待ってるの」
「ふぅーん……そっか……『お疲れ様』って直接言いたかったけど、あれじゃ無理そうだね」
唯も残念そうだ。
「うん、そだね。いつ出て来るかわかんないし、出て来ても話し掛けられないだろうし。
……お茶して帰ろっか」
どうやら香奈も諦めたようだ。
そして二人は楽屋口にくるりと背を向けて歩き始めた。
丁度、和磨が出てきたのも気づかずに――。
「神……」
和磨は唯の姿が見え、慌てて呼び止めようとしたが大勢の黄色い声に遮られた。
どんどん遠ざかっていく後姿。
和磨はその後姿をただ見つめる事しか出来なかった――。
その後、メンバーと反省会を兼ねて打ち上げをしている最中も和磨は携帯が気になって仕方がなかった。
「気になるなら掛けてみりゃいいじゃん?」
そんな和磨の様子を見かねて拓未が笑いながら言う。
「いや……別に気になってないし」
しら〜っと目を逸らす和磨。
これでは拓未に『確かに気になってます』と言っているようなものだ。
そうして、和磨が自宅に帰ったのは日付が変わろうとしている時間だった。
(さすがにこの時間に掛けるのはまずいよなー)
和磨は携帯を握り締めたままベッドに身を投げ出し、目を閉じた。
そして同じ頃――、
家に戻った唯もベッドの上で携帯を眺めていた。
(篠原くんに電話してみようかなぁ……?)
しかし、楽屋口にいたファンの数を考えると、その中の誰かとご飯でも食べているかもしれない。
(……邪魔しちゃ悪いよね?)
そう思い、携帯を置いた。
唯はごろんと寝転んで溜め息を吐いた――。
◆ ◆ ◆
――翌日、日曜日。
「……んー……あ……?」
和磨は昨夜ベッドに入った時とまったく同じ体勢のまま目が覚めた。
あのまま寝てしまったのだ。
(神崎さんからなんか来てるかな?)
目が覚めるなり携帯をチェックする。
だが、やはり唯からは電話もメールも来ていなかった。
(……)
和磨はよくわからないもやもやした気分になった。
(やっぱり神崎さんは俺等がやってるみたいな音楽は好きじゃないのかもしれないな)
唯と知り合ったのはほんの十日程前。
だが、彼女の事はまだ何も知らない。
普段どんな音楽を聴いているのか、趣味は何か。
和磨自身無口だから何も訊いていないというのもあるが、唯も大人しいからあまり自分から喋る事がないのだ。
それでも和磨は意を決して唯に電話を掛けてみた。
しかし、電話の向こうからはすぐに機械的に応答する音声が聞こえてきた。
『お客様のお掛けになった番号は、現在電波の届かない場所か、電源が……』
(どこか地下にでもいるのか?)
和磨が携帯を見つめて首を傾げている頃――、
唯はと言うとライブで聴いたバラードの曲を思い出していた。
歌詞ははっきり憶えてはいないが、Kazumaがエレアコを弾きながら歌っていたラブソング。
(あの曲、すごく綺麗な曲だったな……)
自分の部屋にあるピアノに向かい、まだ耳に残っている旋律を弾いてみた。
三才からピアノを習っている唯には“絶対音感”というものがある。
だから時々、こうして印象に残った曲の旋律を鍵盤で辿ってみるのだ。
目を閉じると瞼の裏に昨夜のKazumaの姿が映る。
先生から出される課題曲以外を弾くのは久しぶりで、その所為もあって唯は時間が経つのも忘れて弾いた――。
◆ ◆ ◆
――月曜日の朝。
唯と香奈が自分達の教室へ向かう途中、和磨達の教室の前を通るといつもより大きな人だかりが出来ていた。
その原因はやはり和磨と拓未。
「今日はやけに多いね」
「出待ちしてても、なかなか話せないけどうちの学校の子なら教室に来れば会えるから、
チャンスとばかりにみんな来るみたい」
「そっか……」
(篠原くんと話したかったけど、あれじゃ今日は無理ね……)
唯はちらりと和磨に目をやり、小さく溜め息を吐いた――。
その日の放課後――、
唯は掃除当番だった為、いつもよりも帰りが遅くなった。
「香奈、お待たせ」
「もう帰れるの?」
「うん」
そう言っていつも一緒に帰っている香奈と教室を出ると香奈の携帯が鳴った。
「もしもーし」
軽い感じで香奈が電話の相手と話し出す。
「……うん、……うん! わかった。今から行くねー♪」
しかし、すぐに電話を切った。
(何か用事でも入ったのかな?)
そう思っていると、
「いつものファーストフードで拓未くんが待ってるって! 早く行こ!」
香奈は嬉しそうに言って唯の手を取り、ぐいぐいと引っ張って歩き始めた。
「香奈ちゃん、唯ちゃん♪」
ファーストフードに入ると、拓未がすぐに二人を見つけて声を掛けてきた。
隣には和磨も座っている。
だが、なんとなく不機嫌な感じがするのは気のせいだろうか――?