言葉のかわりに−第四章・3−
唯のマネージャー・山内からの電話の内容は、やはり唯と和磨が撮られた事についてだった。
そして意外にもその電話はあっさりと終わり、Juliusのマネージャー・菊本弥生は電話を切り、
再び和磨の方に視線を向けた。
「神崎さん側は会見もコメントもしないそうです」
「え?」
(何もしない……?)
「何かコメントをしたとしても、それについてまた訊かれるし、余計な事を言ったり、
中途半端に答えるよりは何も言わないでおく事を選択したようですよ」
(なるほど……けど、まだパパラッチに付き纏われているんじゃないのか?)
そう思い、和磨が口を開きかけた時、
「あ、それとパパラッチですが……神崎さん側の事務所が全て手をまわして抑えたので、
あちらはこれ以上撮られたりする事はないそうです。その分、またこちらに来る可能性はありますが」
弥生は苦笑いしながら言った。
さすがは大手プロダクションなだけはある。
対応が早い。
「そう……か。それならそれで安心だな」
(パパラッチの餌食は俺だけでいい)
「それで、こちらも今回の件については何もしないという事で
神崎さん側にも話を通しましたのでKazumaさんも“いつも通り”で」
“いつも通り”
和磨はいつもスキャンダルには無言を貫いてきた。
相手が誰であろうと。
第一に答えるのが面倒くさい……と言うのがある。
それにスキャンダルと言っても和磨の場合、全部仕組まれたものだった。
デビューしてからあっという間に人気バンドになったJuliusのヴォーカルと言うだけでいろんな女性が言い寄ってきた。
けれど、唯以外の女性にはまったく興味がない和磨は当然相手になどしなかった。
そして、ゴシップ記事ばかりを書いている週刊誌の記者はそれではおもしろくないと思ったのか、
時には適当な女に金を渡してスキャンダルを作り上げていた。
ファンだと言って話し掛けて来たと思えば、いきなり腕を組んできたり、抱きついてきたり、
酷い時はキスまでされそうになった。
そこを隠れていた記者が撮る……といった手口。
例え事実を言ったとしても、どうせ面白可笑しく誇張して書き換えられたりするだけだ。
それなら、いっその事黙っている方がいい。
そんな訳でいつも無言。
そして今回も、“いつも通り”にする事にした。
(だけど、唯にはやっぱり直接謝りたかったな……)
和磨はなんだか、どんどん謝らなきゃいけない事が増えていく気がした――。
◆ ◆ ◆
そして、唯の方では――、
パリに戻ってから一週間が過ぎたある日。
唯が学校から帰ると橘から電話があった。
「もしもし」
『もしもし、橘です』
いつも恋人として掛けてくる時は“俺”だと言うのに、“橘です”と言ったという事は仕事の話だ。
「はい、お疲れ様です」
『これからそちらへ伺ってもよろしいですか?』
「はい」
『……出来れば澤田さんにも来て頂きたいのですが』
「澤田さん……ですか?」
澤田祐介。
唯より四歳年上で、同じ音楽院の指揮科に通っている友人だ。
『はい、理由はそちらに伺ってから詳しくお話ししますので』
「わかりました」
唯は電話を切ると隣の部屋に住む祐介の所へと向かった。
――それから十分程で橘が来た。
いつもよりもやや険しい顔をしているのは気のせいだろうか。
「あの……」
唯は恐る恐る橘に声を掛けた。
橘はカバンから日本の週刊誌を取り出し、唯と祐介の前に広げた。
所謂ゴシップ記事ばかりが載っている雑誌だ。
開かれたページには……
先日、空港で和磨に声を掛けられた時の写真が載っていた。
(あ……)
こんなのいつの間に撮られたのだろう?
「あの時の男性は、JuliusのKazumaさんだったんですね……」
橘はそう言い、
「彼を追い回しているパパラッチに撮られたようです」
と続けた。
(パパラッチ……)
「それと……」
橘は更にページをめくり、
「澤田さんとも撮られたようです」
ある写真が載っているページを指で軽くトントンと叩いた。
「え……?」
唯は驚き、そのページに目をやった。
すると確かに自分と祐介が二人で食事をしているところを撮られていた。
しかし祐介はまったく慌てる様子もなく、
「あらぁー、撮られちゃいました?」
軽く笑いながら言った。
「でも……なんで?」
唯は首を捻った。
今まで自分のところにパパラッチが来たことなど一度もないのに……。
「おそらくKazumaさんと撮られた後、パパラッチが神崎さんを追い回していたんでしょう」
「全然気が付きませんでした……」
「まぁ、こんな事は初めてですしね。それで……今回の事で澤田さんにもご迷惑をお掛けする事になり、
申し訳ありません」
橘は申し訳なさそうに祐介に謝罪をした。
「あはは、そんなの全然構いませんよ。いつか俺もパパラッチに追い回されるようになった時、
唯ちゃんに迷惑を掛ける事があるかもしれませんしね」
祐介は笑いながら言った。
「でも……」
その週刊誌には、唯の恋人が祐介ではないかと書かれていた。
確かに祐介とは日本人同士で部屋が隣同士と言う事もあり、よく一緒にごはんを作って食べたり、
オーケストラやオペラなんかも連れて行って貰っていた。
実際には“お兄ちゃん”のような存在の人だ。
今回、週刊誌に撮られたのも先日一緒にオーケストラのコンサートに行った帰りに食事をした時だ。
だから“恋人”と書かれている事が気になっていた。
「あ、理恵には俺からちゃんと言っとくから」
祐介は優しい口調で言い、心配するなといった顔をした。
実は祐介には、“理恵”というちゃんと付き合っている彼女がいたりする。
祐介と同い年で、すらりと伸びた身長にショートカットが良く似合う、少し気が強い姉御肌の女性だ。
パティシエの修行でパリに来ていて、祐介とはもう長い。
そして祐介同様、唯を妹のように可愛がってくれている。
そんな訳で祐介とは実際には仲の良い“友達”で“恋人”ではない。
唯の部屋にしょっちゅう祐介が来ているのだっていつも二人きりという訳ではない。
同じアパルトマンに住んでいる学生でわいわい集まる時もあるし、祐介と理恵が二人でくる事だってしょっちゅうだ。
(だけど、また撮られたりしたら……)
そう思っていると唯の不安な気持ちを察したのか、
「とりあえず、全て手を回したので、これ以上撮られる事はないと思います」
橘が優しく言った。
「そうですか……、ありがとうございます……」
唯はそれを聞いて少し安心した。
「それで、会見やコメントなども一切しないつもりですので、神崎さんや澤田さんの所にもし記者が来ても、
何も答えなくてもいいですから」
「「はい」」
橘に言われ、頷く唯と祐介。
とりあえず返事はしたものの、唯にはもう一つ気になっている事があった。
「大丈夫、こんな噂なんてすぐに消えるよ」
祐介はまだ浮かない顔をしている唯に優しく微笑んだ。
「……はい」
それは和磨の事。
自分と和磨が撮られている記事には、和磨の恋人は唯ではないかと書かれていた。
それでパリまで自分を追って来て見れば、祐介が唯の恋人ではないかと撮られ、
あげく記事には三角関係か……? みたいな事まで書かれている。
確かに昔は和磨が自分の恋人だった……。
けれど今は違う。
ただの友達。
それに和磨にはきっと新しい彼女がいるはず。
いないとしても、こんな風に書かれる事に和磨はいい気はしないだろう。
記事を面白くする為に適当に書いているんだろうけれど……。
それに自分はまだパリだから日本での噂話なんて耳に入って来る事はない。
今回の事だって、橘が知らせてくれなければまったく知らなかった。
しかし、和磨は日本にいる。
おそらくいろんな記者やパパラッチにまた追い回され、きっと嫌な思いをたくさんするだろう。
そう思うと、とても笑う事が出来ない唯だった――。