言葉のかわりに−第四章・1−

 

 

――三年後。

 

あれから唯は、ただただ勉強と仕事に明け暮れた。

 

……和磨の事を思い出す暇がない程。

 

和磨の事を忘れたい一心で――。

 

そのおかげでクラシック界では有名な国際コンクールで一位入賞とパリデビューを果たす事が出来た。

それを切欠に今では世界中から演奏会に呼ばれる程になった。

日本からも当然オファーが殺到している。

だが、どうしても日本には帰りたくなかった。

 

和磨がいる日本には……。

 

 

一月も終わりに近づいた週末――。

唯は三年ぶりに日本に帰国した。

今までずっと避けていた日本へ帰国したのは双子の妹・舞の七回忌の為だ。

本来なら命日の二月に行うべきだが、家族のそれぞれの都合で明日行う事になったのだ。

 

しかし、三年ぶりの日本だからと言ってゆっくり出来る訳ではなかった。

まだパリの音楽院に在学中とはいえ、今ではすっかり売れっ子となった唯のスケジュールはぎっしりだ。

特に今回は一週間という短い間しか日本にいない為、取材や撮影はもちろん、テレビの収録なども入っていた。

 

「神崎さん、橘さん、お疲れ様です」

空港に到着した唯はマネージャーの橘と共に入国手続きを済ませ、ロビーでもう一人のマネージャー・山内と合流した。

唯と橘を迎えに来たのだ。

 

唯は帰国早々この後、仕事が入っていた。

と言ってもホテルでの打ち合わせがあるだけだが、その後はホテルにそのまま泊まる事になっている。

今回の帰国は実家にすら帰る事が出来ない程の過密スケジュールだからだ――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

打ち合わせは思っていたよりも早く済んだ。

時間はまだ午後七時を過ぎたばかりだ。

 

唯は橘達と別れた後、香奈に電話を掛けた。

「もしもし、香奈?」

 

『もしもし? 唯!?』

 

「うん」

 

『きゃーっ! どうしたの?』

香奈は三年ぶりの唯からの電話に歓喜の声を上げた。

 

「んー、打ち合わせが早く終わって時間が出来たから、どうしてるかなー? と思って」

 

『今日はもう仕事終わったの?』

 

「うん、この後はもうないよー」

 

『今どこにいるの?』

 

「んと……赤坂のホテル」

 

『え、実家じゃないの?』

 

「うん、今回は実家帰る暇がないっぽい」

 

『えーっ! マジぃ?』

 

「マジ、マジ」

唯は香奈の言葉を繰り返しながら苦笑した。

 

『じゃ、今からそっち行ってもいい?』

 

「うん」

 

『孝太も連れて行くけどいいよね?』

 

「うん、もちろん!」

 

『んじゃ、後で!』

 

 

一時間後――、

唯と香奈、孝太は久しぶりに再会し、三人でホテルの中にあるバーに行った。

まずは三人で再会の祝杯を挙げる。

 

「「「ひさしぶりーっ!」」」

唯達三人はお互いのグラスを軽く合わせた。

 

「ったく、こっちから電話掛けても全然出ないから、向こうで死んでんじゃないかって心配してたんだぞ?」

孝太はそう言って唯のおでこをパチンと叩いた。

 

「あぅっ!」

唯は叩かれたおでこを擦りながら、

「……ごめん」

ばつが悪そうな顔をした。

 

「まぁまぁ、こうして時間が出来てちゃんと連絡くれたんだしー」

香奈はそう言って孝太を宥めると、

「んで? いつまでこっちにいられるの?」

唯に訊ねた。

 

「えっとね……二月の三日まで」

 

「て事は、一週間かー。仕事って、そんなに忙しいのか?」

孝太が頬杖をつきながら言う。

 

「うん、明日は舞の七回忌で家族や親戚も集まるから一日空けてあるんだけど、

 明後日からは取材とか撮影とか収録なんかが詰まってるの」

 

「だって唯、国際コンクールで優勝したのに凱旋コンサートもやってないもんねぇ……、

 日本のファンは楽しみにしてるのに」

香奈が言ったとおり、唯は大きなコンクールで一位を獲得したにも拘わらず、凱旋コンサートなどは

一切行っていなかった。

それは、もちろん唯自身が日本へ帰りたがらなかったからだ。

だから今回、法事の為の一時帰国のついでとは言え、出来る限りオファーに応えなくてはならない。

 

「ところで、唯……」

 

「うん?」

 

「もしかして……彼氏出来た?」

香奈は唯の左手の薬指に光っている指輪を差した。

相変わらずこういうところは鋭い……。

 

香奈は高校を卒業した後、都内の大学で心理学を勉強していて拓未とは半同棲をしている。

元々、洞察力が鋭く人の心理を読む事にも長けている香奈に

「これ以上、鋭くなってもらっちゃ困る」

と、孝太は言ったらしいが唯も今この瞬間、そう思ったのは言うまでもない。

 

唯は咄嗟に左手を隠すと顔を赤くして俯いた。

 

「……お前、男がいるのか?」

孝太はあんぐりと口を開けた。

 

「……いつから付き合ってるの?」

 

「き、去年の今頃から……」

唯は俯いたまま、小さな声で香奈の質問に答えた。

香奈と孝太は顔を見合わせた。

和磨がまだ唯の事を想い続けている事を知っている二人はなんだか複雑だ。

 

「……そう、なんだ」

香奈はそう言うと、

「どんな人?」

続けて唯に訊いた。

 

「んー、どんなって……言われても……」

 

「優しいとか、チャラいとか」

 

「……優しい人だよ」

 

「ふーん、俺よりも?」

孝太はニッと笑った。

 

「孝太は優しくないでしょっ!」

香奈はそう言って孝太のおでこをツンと人差し指でつついた。

 

唯は二人の様子を見て、クスクス笑うと、

「コウちゃんは? 彼女とはうまくいってるの?」

すかさず話題転換した。

 

都内の大学の工学部に通っている孝太は高校の時は止めていたサッカーも大学に入ってからまた始めたらしい。

そして去年の夏、どうやら彼女が出来たらしいと香奈からメールが届いた。

 

「なんでそれ知ってんだよ!?」

孝太は彼女の存在が唯にバレていないと思っていたらしい。

 

「香奈からメールが来たもん」

唯はそう言って悪戯っぽい目をした。

 

「……お前っ」

孝太はそう言って香奈を横目で見ると、

「余計な事を……」

ボソッと呟いた。

 

「「で? どんな子なの?」」

唯と香奈は身を乗り出すと孝太に質問攻撃を開始した。

 

「か、可愛い子だよ」

思いっきり照れながら答える孝太。

 

「どこで知り合ったの?」

香奈が興味津々な様子で訊ねる。

 

「サッカー部のマネージャー」

 

「「へぇ〜っ」」

唯と香奈はニコニコしていた。

それは孝太をからかっていると言うより、孝太の新しい恋を応援しているかのような温かい笑みだった――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

唯が一時帰国したその日の夜――。

 

和磨は携帯を開いてメモリーに登録してある唯の携帯番号を表示させた。

 

それは三年前、唯がパリへと旅立った後――、

「唯は本気でお前の事忘れようとしてるから、電話にも出ねぇと思うけど……」

そう言って孝太が教えてくれた唯の新しい携帯番号だった。

 

和磨はあれから何度も唯に電話を掛けた。

 

けれど、孝太が言っていた通り、唯が電話に出る事は一度もなかった。

と言うより、香奈が掛けても孝太が掛けても出ないし、掛け直して来る事もないらしい。

 

そんな中、唯一彼女とコンタクトが取れているのは拓未だった。

拓未は時々、唯にメールをしている。

けれど、唯からの返信は十回に一回くらいしか来ないと言っていた。

 

そのメールのやり取りでわかった事は、学校と仕事で忙しいという事。

ただ、それだけだった。

 

メールなら電話と違って返信が来る。

それは和磨が唯と付き合っている時からわかっている事だった。

 

しかし、和磨は敢えて電話に拘った。

 

拓未からのメールなら読んでくれるかもしれないが、自分からのメールは読まずにそのままゴミ箱行きの可能性だってある。

それなら電話に出てくれるまで掛ける方がいい。

そう思っていた。

 

それで今夜も唯の携帯へ掛けてみる。

時間はまだ午後十時を回ったばかり。

明日は双子の妹・舞の七回忌だと香奈が言っていたから、もしかしたら時差ボケなんかでもう既に寝てしまっているかもしれない。

 

和磨は思い切って通話ボタンを押した。

 

だが、やはり唯が電話に出る事はなかった――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

そして和磨が何も出来ないまま六日が過ぎた――。

明日は、唯がパリに戻る日だ。

 

このまま会う事も出来ずに、唯はまたパリに戻ってしまうのだろうか。

 

……ただ会いたい……。

 

何も話すことが出来なくても……、

 

一目だけでも……。

 

そんな想いも叶わぬ願いと知りながら、和磨はタバコに火をつけ、溜め息と一緒に煙を吐き出した――。

 

 

しかし、いつまでもこうして思いふけっていても仕方がない。

和磨はニューヨーク行きの準備を始めた。

 

和磨達Juliusも明日からレコーティングの為、ニューヨークへ行く事になっているのだ。

 

Juliusは高校卒業後、すぐにプロダクションからスカウトされてプロデビューの夢が叶った。

だけど『言葉のかわりに』だけはあの日以来、一度も歌っていない。

レコーティングすらしていない未発表曲のままになっている。

 

そして、今回もレコーティングの予定はない。

 

デビューして一年後、和磨は実家を出て今のマンションに移った。

ちなみに拓未も同じマンションにいる。

拓未の部屋には香奈が半同棲していて、今回みたいに数日間家を空ける場合はいつも“あるモノ”を香奈に預けていた。

 

 

……ピンポーン――。

 

拓未の部屋のインターフォンを押すと、中から拓未が出て来た。

 

「おぅっ」

 

「上木さん、いる?」

 

「中にいるぞ、まぁ入れよ」

 

「あぁ……お邪魔します」

和磨がそう言って中に入ると、

「いらっしゃーい」

香奈がにっこりと笑った。

その顔はまるで、そろそろ来るだろうと思っていたといった感じだった。

 

「“例のモノ”預けに来たんでしょ?」

 

「うん……また、よろしく」

和磨はそう言ってソファーに座り、手に持っていた小さなガラスの金魚鉢をテーブルに置いた。

中で泳いでいるのは、もちろん金魚。

あの夏祭りで唯が掬った赤い金魚だ。

だいたい金魚すくいで獲ったのはすぐ死んでしまうのにこの金魚は何故かまだ生きている。

唯が言った通り“愛情をいっぱい注げば大丈夫”という事か?

 

「しかし、篠原くんもつくづく意外な男ねー」

香奈はそう言って和磨の前に熱いコーヒーを置いた。

 

「俺も最初、お前が金魚飼い始めた時は、気でも狂ったかと思ったけどな?」

拓未はそう言うとククッと笑った。

 

「てか……いつも思ってたんだけど、なんで一匹だけなの?」

香奈は不思議そうな顔をしながら金魚鉢の中を覗き込んだ。

 

「なんでと言われても……」

 

それは唯と一匹ずつ分けたから。

 

……なんて事は言わないでおこう。

 

「……てゆーか、そもそもなんで金魚?」

香奈は小首を傾げると、拓未と自分のコーヒーをテーブルに置いた。

 

「……ん、まぁ……たまたま?」

 

そう……たまたま。

 

たまたま唯が金魚を二匹掬って、それを一匹ずつ分けただけ。

でも……それが今じゃ結構、和磨を癒してくれる存在だったりなんかする。

 

「たまたまねぇ……」

拓未はそう言ってコーヒーに口をつけると、

「そういえば、和磨」

金魚鉢から和磨に視線を戻した。

 

「……ん?」

 

「最近、パパラッチがお前をマークしてるらしいぞ」

拓未は珍しく真顔で言った。

 

「……いつもの事だろ?」

 

「いつもは例の週刊誌の記者共だけだろ」

 

「まぁな」

 

「今回はちょっと性質が悪いって話だ。とにかく気を付けるに越した事はねぇから」

 

「あぁ、わかった」

デビューしてからあっという間にファンが増えて、人気が出たおかげで今では週刊誌の記者達に追い回される日も多くなった。

そんな訳で、Juliusの中でもヴォーカルの和磨はとうとうパパラッチにまで追い回される事になったらしい。

 

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