言葉のかわりに−第二章・6−
――翌日、文化祭二日目。
いよいよJuliusとOracleの初競演の日。
出演バンドは全部で七バンドでトリはもちろんJuliusだ。
Oracleは他のバンドとのくじ引きで五番目になった。
午前中にさらりと流すだけのリハーサルが終わり、午後二時の開演時間とともに一番目のバンドの演奏が始まった。
出演バンドの楽屋は野外ステージのちょうど裏側に位置する視聴覚室で隣の準備室が女子の更衣室になっている。
そして三番目のバンドの演奏が始まったところで、Oracleのメンバーは衣装に着替える為、隣の準備室に入った。
「香奈ちゃん、鎖骨のトコにキスマークついてるーっ!」
着替えを始めてすぐに奈津子の声が隣の視聴覚室まで聞こえてきた。
「あーっ! ホントだっ」
「うひゃっ! 彼氏につけられたの?」
拓未が和磨の横で缶コーヒーを吹いた。
その様子を和磨達はクククッと笑いを堪えながら見ていた。
「あ、あー……、いや、これはー……」
香奈はしどろもどろで必死に言い訳を考えている。
珍しくうろたえている香奈を見て唯もクスクスと笑っていた。
「む、虫に刺されたの!」
香奈は苦し紛れに言ってみたが、「そんな訳ないじゃーん」とあっさりみんなに言われてしまった。
視聴覚室の方では拓未以外のJuliusのメンバーが爆笑している。
「うー……」
香奈はもはや言い訳なしと言った感じだった。
すると今度は唯が標的にされた。
「あっ! てか、唯ちゃん胸でかっ!」
「ホントだ。着痩せするタイプなんだねー?」
「あー、唯は結構胸大きいよー」
「キャーッ! 真由ちゃん、どこ触ってんのー!? やめてーっ!」
唯の悲鳴が響く中、今度は和磨が缶コーヒーを吹いた。
「なんか楽しそうだな」
そう言って拓未はニヤニヤしている。
「あー、俺もあの中に加わりてぇー」
「ははは、和磨に殺されるぞ?」
准と智也もそんな事を言いながら笑っている。
「……」
和磨はただ黙ってみんなと目を合わせないようにしているしかなかった。
しばらくして、Oracleのメンバーが準備室から出てきた。
いかにもガールズバンドらしい赤を基調にした衣装で合わせている。
拓未が香奈の方に視線をやると赤いスクエアネックの襟元からキスマークが丸見えの状態だった。
そして香奈が無言で拓未を睨んだのは言うまでもない。
唯は白いカットソーに赤いタータンチェックのミニスカート、黒いブーツを履いている。
和磨は思わず唯の胸元に視線が行った。
すると、あのペアネックレスをつけているのが見えた。
(あ……)
思わず笑みがこぼれそうになるのを抑えていると唯と目が合いそうになり、慌てて視線を外した。
その様子を横にいる拓未達がにやにやしながら見ている。
「何だよっ?」
和磨は拓未達を軽く睨みつけた。
「「「いや、別にぃ〜♪」」」
素知らぬ顔をして白々しく拓未達がそっぽを向くと和磨は黙ったまま頬杖をついて視線を外した――。
そして、一通りメイクを終えた香奈が鏡の前で何かを悩んでいた。
「うーん……どうしよう……」
「どうしたの?」
隣にいる唯が不思議そうな顔で香奈に声を掛けた。
「んー……これ……」
香奈が指差したのは“彼氏”につけられたキスマークだった。
「あー、それなら……」
そう言って唯はコンシーラーとファンデーションを使い、バッチリ見えていた香奈の鎖骨についたキスマークを上手に隠した。
「唯ちゃん、うまいねー。もしかして……キスマーク隠すの慣れてる?」
いきなり真由子が鋭い質問をぶつけてきた。
「な、何言ってんのっ!」
思いも寄らぬ質問が飛んできたのか、唯は少し慌てた。
和磨がまたコーヒーを吹き出しそうになっている。
「ドレスを着る機会が多いから、知らない間に出来た虫刺されとか痣とか隠すのに慣れただけだよー」
「あー、そっか。クラシックやってると露出の高いドレスとか着るもんね。
それでキスマークの一つや二つつけられてても隠せる訳ねー」
「い、いや……だから、あの……キスマークを隠すのに慣れてる訳じゃ……」
そんな会話をしていると、四番目のバンドの演奏が始まった。
Oracleのメンバーはそれぞれチューニングや指慣らしを始め、緊張してきたのか段々と口数が減っていった。
「さすがに唯は余裕だね……」
香奈は落ち着いている様子の唯を見ながら呟いた。
「そんな事ないよ?」
唯は楽譜を見ながら香奈に視線を移す事無く答えた。
「とか言って、全然緊張してなさそうな顔してるけど?」
「これでも一応緊張してるよ? 今日はみんなと一緒にステージに立てるからいつもより緊張してないけど」
とは言え、楽譜を見て再確認するあたりはいつもと同じだ。
「まぁ、確かに言われてみれば唯はいつも一人でステージに立つもんね?」
「一人は一人で失敗しても自分が恥を掻くだけだから。それを考えると今日の方がよっぽど気が抜けないけどね」
確かに。
「なんかそれ、余計にプレッシャー掛けられた気分……」
香奈は眉間に皺を寄せ、項垂れた。
その様子に唯は顔を上げ、楽譜から香奈に視線を移した。
「香奈、深く考えすぎなんじゃない? お祭りなんだから、もっと楽しもうよ」
にっこり笑う唯。
「うん……そだね!」
香奈は唯のその言葉のおかげで緊張が少し解れた。
◆ ◆ ◆
四番目のバンドの演奏が終わり、機材の入れ替えが始まると、女の子ばかりだから重い機材は大変だろうと
Juliusのメンバーが手伝いに来てくれた。
「ありがとう」
キーボードを運んでくれた和磨に唯が少し恥ずかしそうに言うと、和磨は優しい笑みを浮かべて「頑張れよ」と言った。
唯はコクンと頷いた――。
そして機材のセッティングが終わり、ステージの袖でOracleのメンバーは円陣を組んだ。
「今日は思いっきり楽しもうね!」
「「「「おーっ!!」」」」
真由子の言葉とともに気合いを入れる。
それと同時に唯の顔つきも演奏会で見た時と同じ様に変わっていた。
(さっきまでとは全然別人だな……)
そんな事を思いながら、和磨はステージへ踏み出して行った唯の後姿を見つめていた。
瑤子のギターの音ともに真っ暗だったステージが一気に色鮮やかな照明に映し出され、Oracleの演奏が始まった。
一曲目は女性ヴォーカルバンドの代表曲で明るい曲だ。
香奈の喉の調子もいい。
表情の方も初めは緊張して硬かったものの、段々笑顔になってきた。
他のメンバーもそんな香奈を見てホッとしたのか、笑顔で演奏をしている。
「楽しそうにやってていいねぇー」
智也が袖から覗きながら口を開いた。
「上木さんも喉の調子良さそうだし、ちゃんと腹式呼吸出来てるな」
ヴォーカルの和磨はそのあたりの事がやはり気になるのかしっかりと見ている。
「てか、唯ちゃんはさすがだな」
拓未はステージ慣れしている唯の様子に感心している。
「うん、みんなより一際落ち着いてるし」
准も全体の様子を見ながら口を開いた。
「お、唯ちゃんコーラスも入ってる」
「おぉっ!?」
「ちゃんと腹式呼吸してる」
「和磨が教えたのか?」
「いや、俺なんも教えてないけど?」
「へぇー、そーなんだ?」
そんな会話をしつつ、Juliusのメンバーはステージの袖でOracleのメンバーを見守っていた。
二曲目はシャッフル調の可愛い曲で、ちょっと難しい曲ではあるが香奈が歌いやすいように少しアレンジを変えている。
客席の反応もいい、今日の出演バンドの中でも一番の盛り上がりだ。
二曲目が終わり、ここでMC。
香奈らしく明るいトークで観客を笑わせている。
「香奈ちゃんMCうまいなー」
「なんか初ライブとは思えん」
「このバンドなかなかいいね」
唯と香奈以外みんなバンド経験者とは言え、結成して一ヶ月のバンドとは思えないくらいだ。
三曲目は香奈の歌と唯のコーラスが聴かせどころのバラードだ。
「てか、唯ちゃん綺麗な声してるな」
「うん、ファルセットも綺麗に出てるし」
「香奈ちゃんの声と合ってる」
Juliusのメンバーが言ったとおり、確かに唯は綺麗な声をしていた。
絶対音感があるだけに音程は外さないし、音楽に関する一通りの教育を受けているのか、腹式呼吸もファルセットも出来ていた。
四曲目はギターではじまるミディアムテンポの曲。
最後の方で香奈が歌詞を忘れてしまったが咄嗟に唯がアドリブでコーラスに入り、フォローした。
「あ、今の……香奈、ミスったな」
「え、そうなのか?」
苦笑いした拓未に視線を移した准。
「うん、いつも練習の後でMD聴かせて貰ってたからわかる」
「へー、全然わかんなかった」
「今の唯ちゃんがアドリブでコーラス入ったおかげで崩れなかったみたいだな」
「ナイスカバー」
さすが、長年の付き合いだから成せるものなのか。
そして、最後の曲はこれもまた言わずと知れた女性ヴォーカルバンドの代表曲だ。
パワー全開の演奏で一段と観客を沸かせ、そしてOracleの最初で最後のライプが終わった――。
ステージの袖に下がり、Oracleのメンバーは「おつかれーっ!」と言ってみんなで抱き合った。
和磨も唯に「お疲れ」と言って微笑むとにっこり笑って見つめ返してきた唯の顔つきはいつもの表情に戻っていた――。
◆ ◆ ◆
機材を軽く片付けて、OracleとJuliusのメンバーは一緒に視聴覚室に戻った。
六番目のバンドの演奏が始まり、Oracleのメンバーが隣の準備室で制服に着替えている間、
Juliusのメンバーも視聴覚室で衣装に着替えていた。
今回は青を基調とした衣装らしい。
制服に着替え終わった唯がOracleのメンバーとともに準備室から出ると和磨が前髪を右手でかきあげて
少しラフな感じにセットしているところだった。
唯はその仕草にドキッとした。
さらに少し開いたシャツの間からはペアネックレスが見えた。
“和磨も自分と同じ物をいつも着けてくれている――”
唯は視線を逸らしつつ、笑みがこぼれそうになるのを抑えた。
六番目のバンドの演奏が終わる頃、OracleとJuliusのメンバーは再び一緒にステージの袖に向かった。
そしてさっきのお返しにとOracleのメンバーもJuliusの機材のセッティングを手伝った。
ステージに出る直前――、
「あ、あの……頑張ってね」
唯が周りを気にしながら和磨に言った。
「うん」
すると和磨が笑みを浮かべて返事をした後、
「五曲目にやる曲聴いてて……唯の為に歌うから」
真顔で耳元に囁いた。
「え……?」
一瞬、何を言われたのかわからなかったが、すぐに意味がわかった。
段々と顔が熱くなっていく。
和磨はもう一度唯に優しく微笑みかけて、拓未達と円陣を組んだ。
そしてステージの袖から出る瞬間、和磨はKazumaになっていた――。