言葉のかわりに−第一章・10−

 

 

――翌、日曜日。

クラシックコンサートがよく行われる都内でも有名なホールで唯の通う音楽教室の定期演奏会が開かれていた。

 

毎年使っているその会場の楽屋の中で唯は出番を待っていた。

今までトップや演奏会中盤の所謂佳境を任される事が多かったが、今回はトリを任されてしまった。

その所為でいつになく緊張する。

 

それでも、いつも本番前に行っている事を順番どおりにチェックしていく。

衣装とヘアメイク、後は楽譜を確認する。

もちろん暗譜はしてあるが、本番までにもう一度確認をしながら心を落ち着かせるのだ。

 

 

……コンコンッ――、

 

そして楽譜に目を通し終わると同時にドアをノックする音が聞こえた。

 

「唯ちゃん、そろそろ出番よ」

 

「はいっ!」

唯は少しビクッとした。

 

(よしっ!)

鏡の前で自分に気合いを入れ、舞台の袖に行くと一つ前の演奏者・松田弘人(まつだ ひろと)こと

ヒロくんが最後の曲を弾いていた。

先日、ファーストフードで急遽レッスンを代わって欲しいと言ったあの中学生だ。

 

 

その頃――、

和磨達Juliusのメンバーと香奈はすでに客席で弘人の演奏を聴いていた。

 

「あの子の次が唯ちゃんか。トリ前を務めるだけあってあの子もなかなか上手いな」

受付で渡されたパンフレットを見ながら拓未が口を開く。

 

「あの子も幼稚園からずっと習ってるからねー」

香奈は毎年この発表会を聴きに来ているだけあって弘人の事も彼が幼い頃から知っていた。

 

 

――弘人の演奏が終わり、次はいよいよ唯の出番。

 

「お疲れ様、ヒロくん」

挨拶をして舞台袖へと下がってくる弘人に唯は微笑み、声を掛けた。

 

「唯ちゃん、トリは任せた! 頑張れ!」

弘人も無事演奏を終えてホッとしたのか、ニッと笑って言った。

 

「うん」

唯はそう返事をすると、深呼吸をして舞台に向かってゆっくりと一歩踏み出した――。

 

(……っ)

舞台の袖から出て来た唯に和磨は一瞬にして目を奪われた。

 

シフォン生地に小さな花が散りばめられている膝丈の白い半袖のドレスに身を包み、

アップにした髪にはドレスとお揃いの小さな花を着けている。

両サイドに少し残した髪は軽くウェーブがかかっていて、いつもより少し大人っぽい。

メイクをしている所為もあるだろう。

 

凛としていて普段の彼女のオーラとはまったく違う。

その姿を和磨はじっと見つめていた。

 

ピアノの前まで足を進めた唯は一礼をして静かに椅子に座ると鍵盤に手を置いた。

一曲目はベートーベンのピアノソナタ第二十三番 『熱情』 第三楽章。

 

一呼吸吐いてから演奏を始める唯。

弾いているうちに自然と情熱的になってくる旋律は、フッと脳裏にKazumaの顔を想い描かせた。

そして体中が熱くなってくるのが自分でもわかる。

 

客席では唯の演奏にすっかり聴き入っている和磨がいた。

いつもの大人しい唯とは思えぬ程、情熱的で力強い演奏は見ているこちらまで体中が熱くなってきそうだった――。

 

 

二曲目はドビュッシーの『夢』。

題名の通り、まさに夢の中にいるような錯覚を起こさせる旋律だ。

色鮮やかに会場内の空気を染め上げ、まさに夢の中にいるかの様一気に別の世界へと引き込んでいく。

 

(……っ!? この曲っ)

思わず身を乗り出した和磨。

 

「これ……」

隣に座っている拓未も口元に手を当てて眉間に皺を寄せる。

 

そう――、先日、和磨が拓未と共に渡り廊下で聴いた曲……そして、和磨が数週間前に聴いた曲だった。

 

(この曲、神崎さんが弾いていたんだ……?)

 

唯はふわふわとした空気に包まれたように一音一音奏で、和磨の優しく微笑む顔を脳裏に浮かべていた。

居るはずがない……わかってはいるけれど何故かこの会場のどこかに彼が居る気がした――。

 

 

唯の演奏はあっと言う間に終わり、大きな拍手と歓声に応えるように何度もおじきをした後、唯は舞台袖へと下がっていった。

その様子を和磨はまだ夢の中にいるかのようにぼぅ――っと見つめていた。

 

(なんていう曲だろう……?)

和磨はパンフレットの演奏曲目を見た。

 

(『夢』……)

ただピアノが上手いだけの人間ならいくらでもいるだろう。

しかし、曲の内容をちゃんと表現するのは難しい。

特に一曲目の『熱情』のような歌詞がないピアノソナタなどはなおさらだ。

 

(すごいな……、これほどの演奏が出来るなんて……)

 

「ほぇ〜っ! すごいね、唯ちゃん。まさかあそこまで弾けるとは知らなかった」

拓未もすっかり感心している。

 

「でしょ〜っ?」

香奈はまるで自分が褒められているみたいに自慢げに言った。

 

「ところで、和磨の気になってる子って、神崎唯ちゃんだったんだな?」

准が徐に口を開いた。

 

(准も神崎さんの事、知ってたのか……)

 

「競争率高い子にいったなー?」

智也も唯の噂を耳にした事があるのか、苦笑しながら言う。

 

(てか、智也も知ってたのかよ)

「……」

和磨はただ黙っていた。

と言うか、どういう反応をすればいいのかわからなかった。

素直にそうだとも言えず、かといって今更違うとも言えない。

もうすっかりバレている気がしたからだ。

いや……きっとバレているに違いない――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

それからしばらくして、香奈を先頭に唯の楽屋に向かった。

 

……コンコンッ。

 

「唯、私。入ってもいい?」

香奈がノックをしてドア越しに声を掛ける。

 

「うん」

すると、中から唯の声がした。

 

「「「「「お疲れさまーっ!」」」」」

香奈が勢い良くドアを大きく開け、Juliusのメンバー四人が姿を見せる。

 

「……え……」

唯は口をパクパクさせ、驚いた顔で固まった――。

 

予想通りの反応にニヤリとする香奈。

 

「……な……なっ、……な、んで?」

唯は自分の目を疑った。

目の前には、自分の演奏を聴いてくれているはずがないと思っていた人物・和磨がいる。

そして何より、彼以外のJuliusのメンバーもいたからだ。

 

そんな彼女はすでに普段着に着替えてしまっていた。

 

(ドレス姿、近くで見たかったな……)

ほんの少しがっかりした和磨。

しかし、唯の演奏が聴けた上、本人にもこうして会えた事で相殺……いや、嬉しさの方が勝っているが。

 

「唯ちゃん、お疲れ!」

固まったままの唯に拓未が話し掛けると、ようやく反応し始めた。

 

「か、香奈ぁ〜っ?」

少々情けない声で弱々しく香奈の方に顔を向ける唯。

 

「ふふん、びっくりした?」

香奈は悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 

「び、びっくりしたぁ〜っ。まさか、みんなが来てくれるとは思わなかったよ」

唯は少し照れながら、でも嬉しそうに言った。

 

「「いぇ〜い! サプライズ大成功っ!!」」

香奈と拓未はゲラゲラ笑いながらハイタッチをして喜んだ――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

唯と香奈、そしてJuliusのメンバーは一緒に食事をして帰る事になった。

 

「唯、今回もすごくよかったよ♪」

 

「そ、そう?」

香奈に褒められ、唯は少し顔を赤くした。

 

「うんうん! 一曲目なんて迫力あったし!」

「てか、二曲目もすごい聴いてて気持ちよかった!」

「俺、唯ちゃんのファンになった!」

「俺も!」

 

みんながそれぞれ褒めちぎる中、唯はどんどん顔を真っ赤にしていった。

さっきまであんなに堂々と演奏していた人と同一人物だとは思えないくらいだ。

 

(こういうトコ、すごく可愛いな)

そのギャップに和磨はクスリと笑い、彼女のファンになったと言う准と智也に対抗し、

「俺は“大ファン”になったけど?」

柔らかい笑みを浮かべて言った。

 

「「「「「え……?」」」」」

その言葉に一同みんなびっくりしていた。

 

“あの和磨がこんな事を言うなんて……!”

 

思わず一斉に和磨に視線を移す。

もちろん、一番驚いているのは他の誰でもない唯だ。

最高潮に顔を赤くして俯いている。

 

 

そして、顔の火照りが少し引いた頃、唯が顔を上げてみると和磨が優しく微笑みながら見つめていた。

それがまた嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、三秒と経たないうちに唯はまた視線を外してしまった。

 

(ど、どうしよう……篠原くんの顔、見れないよぉ……)

また赤くなり始めた顔を隠すように唯が俯く。

 

すると――、

「和磨?」

不意に誰かに呼ばれ、和磨が声の主へと視線を移した。

唯もその人物へと視線を移す。

 

そこにはモデル並みにスタイルの良い綺麗な女の子が立っていた――。

 

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