X Beat 〜クロスビート〜 −第一章・32−

 

 

――トクン……、トクン……、トクン……、

 

俺の心臓が大きく鳴っている。

 

(愛莉はどうするのかな……?)

高橋の『やり直そう』と言う言葉を受け入れるのか、受け入れないのか?

それが気になっていた――。

 

「あたしは……」

愛莉が少し震えた声で口を開く。

 

「……もう、やり直す気なんてない」

 

「……」

その言葉に落胆する高橋。

 

だが、俺は逆にホッとしていた。

コイツのたった一言で愛莉は変わってしまった。

それだけこの高橋の事が好きだったという事だろう。

だから、もしかしたら愛莉がこの男の所に戻ってしまうんじゃないかと思ったのだ。

 

「確かにあの時、優一が言った言葉に傷付いたし、女の子らしくしてなかったらあんな事

 言われないで済んだのかとも思って、髪も切って、態と男っぽく振舞うようになった……」

 

「……」

高橋は愛莉の言葉を噛み締めるように聞いている。

 

「でも……」

そこまで言ったところで愛莉は言葉に詰まった。

俺の背中で微かに震えているのが感じ取れた。

 

(愛莉……泣いてるのか……?)

 

「優一が謝ってくれた事だけで、も……いい……」

 

「……」

 

「……」

俺も高橋も愛莉の次の言葉を待った。

 

「……あたしはドラムが好きだし、彼氏はそれを理解してくれる人がいい」

 

「だからっ、俺はそれがよくわかったから……っ」

 

「……」

高橋の言葉に愛莉は静かに首を横に振った。

 

「そっか……、あれからもう三年近く経つもんな? 愛莉の気持ちだって変わってるよな?

 傷付けられた俺の事は忘れてなくても、俺の事をまだ好きでいてくれるって訳じゃないもんな……?」

 

そう……、現に愛莉は高校に入ってからシンに想いを寄せていた。

 

「……俺の事がまだ好きなら、昨日も俺の顔を見た途端に逃げ出さないもんな?」

 

「……」

愛莉は俯いたまま黙っていた。

 

「俺は昨日のライブを観て愛莉がドラムを叩いてる姿、嫌じゃなかった」

 

「……それは、あたしが三年前の格好と全然違ったからじゃないのか?」

 

「……」

高橋は愛莉の問いに答える事は出来なかった。

 

「あたしはドラムは辞めないし、これからもずっと続けていきたい。

 その為に理解されない事もいっぱいあると思う。でも……今はそれでもいい……、

 ドラムを叩いてる時が一番自分らしくいられるから……」

それは、まるで過去の自分に言っているかのようだった――。

 

「あたしは……もう優一の所へは戻らない」

泣き声の愛莉。

しかし、はっきりとした口調だ。

 

「……そか……でも、愛莉」

高橋は小さく呟くように言って言葉を続けた。

 

「俺は元の愛莉に戻って欲しい。愛莉をこんな風に変えた張本人が言うのもおかしな話だけど

 愛莉には“自分らしく”いて欲しい。本当の意味で」

 

「……」

高橋の言葉を黙ったまま聞いている愛莉。

 

「……また、あのライブハウスでライブやる時は俺のバイト先のファミレスに来てくれよ。

 今度は愛莉の好きな物、サービスするから」

高橋はそう言うと俺の背中に隠れている愛莉に優しい笑みを向けた。

 

「……愛莉、顔出せ」

俺は愛莉をやや強引に前へ引き出した。

 

「……」

愛莉は泣き顔でクシャクシャになっていた。

 

「愛莉の事、好きだった……」

高橋はそれだけ言うと、その場を後にした。

 

愛莉は高橋が去った後、堪え切れずに俺の胸で泣き始めた。

 

「愛莉……」

俺は愛莉が泣き止むまで、ずっと肩を抱いていた――。

 

 

そうして――、

やっと愛莉が泣き止んだ後、俺が涙を拭いてやっていると、

「また詩音に弱み握られたぁ……」

ぼそりと言った。

 

「別に誰にも言うつもりないって」

目の前ので情けない表情をしている彼女がなんだか本当に弱々しく見えて、それがとても

可愛く笑ってしまった。

 

「嘘だ、今笑ったって事は絶対『しめしめ♪』って思ってるだろ〜っ」

 

「思ってないってば♪」

 

「その言い方、ぜってぇいつかなんかする気だ」

 

「しないよ。つーか、“なんか”ってなんだよ?」

 

「わかんないけど……、な、なんか、だよ」

 

「しない、しない。それよりお茶して帰ろうぜ」

 

「うん」

愛莉はまだ微妙な顔をしていたが素直に俺と一緒に歩き始めた。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

「優一の事、訊いてこないって事はもしかして詩音、知ってたのか?」

二人でコーヒーショップに入り、腰を落ち着けたところで愛莉が口を開いた。

 

「……昨日、ファミレスで会ったじゃん?」

 

「そういう事じゃなくて」

 

(だろうな)

 

「どっちに訊いたんだ?」

 

「どっちって?」

 

「千草と美海。詩音の周りにいる人間であたしと優一の事を知ってんのって、この二人だけだから」

 

「ほぅー、なかなか鋭いなぁ?」

 

「誤魔化すな。で? どっちから優一の事聞いたんだ?」

 

「さて、どっちでしょう?」

 

「殴られたいか?」

愛莉は右手でグーを作った。

 

「痛いのは嫌いだし、俺はMじゃないから」

 

「じゃあ、素直に言え」

 

「千草だよ。実は今日、練習の前に聞いた」

 

「……そか」

 

「でも、仲直り出来て良かったじゃん? 元カレと」

 

「うん、まぁ……」

 

「これから“本当の自分”に戻る?」

 

「……うーん……、突然戻るのもどうなんだろう?」

 

「突然じゃなくてもいいんじゃないか? 徐々にで」

 

「詩音はどっちがいいと思う?」

 

「俺に訊いてどうすんだよ? しかも俺は昔の愛莉がどんなんだったか千草から聞いただけで

 よく知らねぇし」

 

「まぁ、そうだけど」

 

「でも、シンのライブを観に来てた時も言ったけど、女の子らしい格好の愛莉も可愛かったぞ」

 

「……そういえば、お前、“可愛い”のが好きだったな。あの先輩は美人だったけど」

 

「それって東野先輩の事?」

 

「そ。タイプと真逆の人を好きになってたじゃん?」

 

「でも、あの人はなんか違うんだよなー」

 

「えぇー、ずぅーと片想いしてたくせに? 歌まで作ったくせに?」

 

「う……、そ、それはもぅ……言うな……。つーか、あの人はなんかこう、俺とは世界が違う気がしてさ、

 見てるだけでよかったというか、告ってフラれて見てるだけでも辛くなるよりマシかなー? って」

 

「告って成功するかもしれないのに?」

 

「それはないだろ〜? 愛莉だって会っただろ? 先輩の彼氏。俺とあの人じゃ全然タイプが違うじゃん?」

 

「先輩と同じ音高出身で音大に通ってる年上の彼氏てか?」

 

「そう。それに比べると俺なんか先輩より二歳も下だし、同じ弦楽器でもあの彼氏さんみたいに

 バイオリンなんて高貴な物は弾けないからなー」

 

「やってる音楽のジャンルも違うしな?」

 

「そうそう、クラシックとロックじゃ世界が違うから、そのうちケンカになるような気がする」

 

「脳内シミュレーションだと、まぁ、そうなる可能性は高いな」

 

「……て、俺の話にいつの間にかすり替わってるけど、俺は愛莉が一番“自分らしい”と思える

 スタイルがいいと思うぞ?」

 

「うん、そうだな。じゃあ、次は詩音の番な?」

 

「俺の番ってなんだよ?」

 

「陽子と何があったのか、後日改まったら話してくれるって昨日言ったじゃん?」

 

「昨日の今日かよっ」

 

「後日には違いないだろ?」

愛莉はにやりと笑った。

 

「……わかったよ」

 

「で? 陽子と何があったんだ?」

 

「告られた。そしてフった。以上」

 

「端折り過ぎだろっ」

 

「だって事実だもん」

 

「ずっと陽子と二人で昼休みに1スタでギターの練習してたのか?」

 

「あぁ」

 

「シンから聞くまで全然知らなかったぞ? 相変わらず秘密主義なヤツだなぁ?」

 

「別に秘密にしてた訳じゃないよ? ただまぁ、わざわざ言う事もないかと……流石に告られた事は

 隠してたけど」

 

「詩音は優しいから、自分が気付かないうちに陽子をその気にさせてたんじゃないのか?」

 

「佐保と同じ様な事言うんだな?」

 

「陽子に告られた事、天宮さんに話したのかっ?」

愛莉は元カレが別の女の子に告られた事を元カノに話した事に驚いた。

 

「俺が微妙な顔で教室に戻って来たからおかしいと思ったんだってさ」

 

「元カノが同じクラスだと大変だね?」

 

「それだけならまだいいんだけど、実は佐保、俺の隣の席だったり」

 

「えっ、マジで?」

 

「うん」

 

「よく平気で座ってられるなぁー。ある意味尊敬する」

 

「“褒められている”と受け取っていいのかな?」

 

「まぁ、な」

 

「くじ引きで席が決まった時に、佐保が『何か理由付けて変えて貰おうか?』って言ったんだけど、

 素直に『そうだな』なんて答えたら、佐保が傷付くんじゃないかと思って……、

 それに嫌いになって別れた訳じゃないしな」

 

「詩音らしいな。てか、ファンクラブの事が解決した後、また付き合うのかと思ってたけど、

 結局そのまま別れたのは意外だったなぁー」

 

「俺さ……いろいろ俺に合わせてくれて一生懸命に俺を想ってくれてた佐保にさ、

 何かしてあげたくてベタだけど彼女に曲のプレゼントとか出来たらいいかなー? って

 思って作ってたんだけど……なんかこう、どうしても形にならなくてさ。

 なんでだろう? って考えた」

 

「なんでなんだ?」

 

「佐保の事、好きじゃなかったから」

 

「……」

 

「あんなに俺の事を想ってくれたのに、俺は佐保を好きになる事は出来なかったんだ。

 だから、ファンクラブの事が解決した後も佐保に『もう一度付き合おう』とは言えなかったし、

 佐保の方もそれがわかってたから“特別なファン”でいる事になったんだ」

 

「表の顔は優しいのに、裏の顔は案外冷たい奴なんだな?」

 

「……うん……、そうかも」

 

「って! 今の冗談で言ったのにっ」

ちょっこヘコんだ俺を見て愛莉は慌てた。

 

「冗談なのか?」

 

「当たり前だろ? 裏の顔が冷たい奴なら彼女の為に曲を書こうだなんて思わないって」

 

「そうかな?」

 

「そうだよ。でも、知らなかったなー、今回もまた彼女を想って曲を書こうとしていたなんて」

愛莉は意地悪そうな顔でにやりと笑った。

 

「だっ、だけど、今回はバンドでやろうだなんて思ってなかった」

 

「ほぉー? “彼女の為だけに”って事かぁ〜♪」

からかい口調の愛莉。

 

「う……」

 

「聴いてみたかったなぁー?」

 

「無理だな。全然完成してないから」

 

「曲だけとか詩だけでも出来てないのか?」

 

「あぁ、どっちもまったく全然」

 

「そんなにイメージが湧かなかったのかぁ。てか、普段詩音て一曲作るのにどれくらい時間が

 掛かるんだ?」

 

「んー、出来る時は早くて十分くらいで出来るけど、出来ない時は何日も掛かるなぁ」

 

「ふーん、けど、自分で曲とか詩が書けるだけでもすごいよなー」

 

「愛莉は? 書いた事ないのか?」

 

「ないなぁ……そもそもメロディーとか詩が出て来ないし」

……と、ここで愛莉が急に真顔で俺の顔をじっと見つめた。

 

「な、何?」

 

「詩音てさ……プロとか目指してたりすんの?」

 

「……プロ、か」

 

「即答しないって事は目指してないのか?」

 

「目指してない訳でもないけど、進学も視野に入れてる。愛莉は?」

 

「実はあたしも同じかな。一応大学へは進学するつもりだけどプロになる夢も捨ててない」

 

「千草と美希はどうなんだろうな?」

 

「二人共大学へは進学するけどバンドもやめるつもりないみたい」

 

「三人が卒業したらHappy-Go-Luckyも解散になんのかな?」

 

「あたしは解散したくないな」

 

「俺も」

 

「じゃあ、続ければいいんじゃね?」

 

「出来るかな?」

 

「詩音と美穂次第かも」

 

「なんで?」

 

「だって、あたし等が卒業したら軽音部じゃなくなるから次に部長になるヤツが軽音部にいる以上、

 部員同士でバンドを組めって言うなら詩音と美穂は軽音部を辞めないといけないだろ?

 掛け持ちもキツいだろうし。そうなった場合、今までは学校の中で毎日好きなだけ練習出来てたけど

 自分達でスタジオを借りないといけないし、流石に金銭的に毎日は練習出来ないし」

 

「だなぁ。まぁ、俺は毎日練習出来る環境がずっと続くとは考えてないし、解散しなくて済むなら

 軽音部を辞めても構わないと思ってる」

 

「千草や美希や美穂がプロを目指していないと断言したとしても?」

 

「うん、他の三人がプロを目指していないとしても俺はこのバンドが好きだし、一緒にやれるところまで

 出来たらいいと思ってる」

 

「じゃあ、あたしもそれに付き合うよ」

愛莉はにっこりと笑った。

 

「へ?」

 

「あたしも詩音の考えに賛成って事♪」

愛莉はそう言うと、自分のコーヒーカップをコツンと俺のカップに乾杯するみたいに軽く当てた。

 

「じゃあ、これからもよろしくな」

そんな愛莉に俺は笑顔で応えた――。

 

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