漆黒の翼 -18-
「今の魔界は奴等が好き勝手にしているだけで何もかもが無茶苦茶なのよ」
「しかし……、君のお母上が魔王の代わりをしているんじゃ?」
「私の父と母は、もう亡くなっているわ。
父は幽閉されてから間もなくして奴等に殺された。
母もその所為で心労が祟って結局、牢の中で息を引き取った……。
今、玉座に座っているのは奴等のリーダー格のリュファスという男よ。
でも、奴は玉座に座っていい人物じゃないわ。
正当な王位継承権を持っているあなたが座るべき所なの」
「……」
ラーサーはセシリアの話を聞き、黙り込んだ。
そして、ラーサーはしばらく考えた後、
「……しかし、そのリュファスという男が玉座に座っているなら態々ティアマトと契約しなくても、
そいつは魔界を支配しているんだろう?」
腑に落ちない表情を浮かべた。
「そうね……魔界を支配するだけならティアマトと契約する必要はないわね」
「リュファスの狙いはそれだけじゃないって事か?」
「そう……だから、こんなに時間と手間をかけてティアマトと契約しようとしているの」
「契約して、どうしようと……?」
「“全て”の力を手に入れて、“全て”を支配したいんじゃない?」
「しかし……全てを手に入れたところで……」
「確かに、人間の寿命は長くて百年、有翼人は三百年、魔族も同じ三百年くらい。
いくら人間より長く生きられるとは言え、普通に考えてこれから二百年余りしか
リュファスの思い描く世界は続かない……でも、もし、リュファスがベンヌの生き血を口にしたら、
どうなると思う?」
「……不老不死になるって事か」
「その通り、リュファスは尽きる事のない命を手に入れ、その間に全ての『力の継承者』を
従える事に成功したとしたら、ヤツが支配する世界が永遠に続くってワケ」
「なるほど……それで“有翼人の森”って、此処からどの位離れているんだ?」
ラーサーは会議室に大きく貼られている世界地図に目をやった。
「“有翼人の森”はここから西……ちょうど昨日、ラーサーがいた港町に近い場所だと聞いた事があるわ。
多分、この辺りの森の中だと思うんだけど、実は私も詳しい場所はよく知らないの」
セシリアはランディール王国からはるか西に位置する港町の手前を指した。
「それでしたら、私がご案内致します」
そう言ったのはジョルジュだった。
「ジョルジュ、“有翼人の森”の場所を知っているのか?」
「はい」
ジョルジュはラーサーの問いにはっきりと答えた。
「じゃあ、“有翼人の森”へはジョルジュに案内して貰いましょう。
ラーサーがいた港町まで転移魔法で行けば一日で行けると思うわ。
私とラーサーと……後はユウリ、あなたにも一緒に来て貰いたいの。
いいかしら?」
セシリアは傍で話を聞いていたユウリに視線を向けた。
だが、ユウリが返事をするよりも早く、
「“有翼人の森”へは私とセシリア様だけでよろしいかと」
ジョルジュが言った。
「……?」
ラーサーとユウリはジョルジュの言葉に顔を見合わせ、首を捻った。
「それは何故?」
セシリアも怪訝そうな顔でジョルジュに訊ねる。
「……」
ジョルジュはその質問にはあまり答えたくなさそうだった。
「ラーサーには魔族を統べる者として一緒に来てもらう義務があるわ。
それは有翼人を統べる者としてユウリも同じだと思うけど?
確かに二人とも一族から離れていたし、急に“有翼人の森”へ現れたりなんかすると
いろいろと騒がれるかもしれない。
特に、ユウリは女王の血をひく者だと言っても半分は魔族である訳だし……けれど、
もう逃げてばかりはいられないのよ」
セシリアは黙ったままのジョルジュに言った。
「……わかりました」
ジョルジュはセシリアの言葉を聞き、少し考えを巡らせた後、納得した。
そして、“有翼人の森”へは数日後に出発する事になった――。
◆ ◆ ◆
ラーサーとセシリアは、出発の準備が整う間、ランディール城に留まる事になった。
ラーサーの部屋は以前のまま残されていた。
何時彼が戻って来てもいいようにとランディール王がそのままにしておくように命じていたのだ。
……コンコン――。
ラーサーは国王達との会議が終わった後、部屋に篭りきりになったユウリを心配していた。
ユウリの部屋のドアをノックし、反応を待った。
しかし、中にいる筈のユウリからは返答がない。
「ユウリ、俺だ。いないのか?」
ラーサーは部屋の中に向かって呼び掛けた。
すると、微かにドアに向かって近付いて来る足音が聞こえ、静かにドアが開いた。
「……」
ユウリは無言でラーサーを見上げた。
「ちょっと、外を歩かないか?」
ラーサーはそう言って柔らかい笑みを浮かべた。
ユウリがコクンと頷くとそっと彼女の手を取り、転移魔法で以前ユウリが住んでいたランディールの森の泉へ行き、
畔に腰を下ろした。
「なんか……いろんな事が一度に起こり過ぎて何から考えればいいのかわからないな」
泉の水面をじっと見つめたままラーサーがポツリと呟いた。
「……はい……私もです」
「王族だとか……炎の力の継承者だとか……、今まで考えた事もなかった……」
「私も……まさか、母が有翼人の王族だったなんて思ってもみませんでした……」
「ユウリのご両親はどんなお方だったんだ?」
「普通ですよ? いつも優しくて時には厳しくて……本当の姿もずっと隠してて、
周りの人達とも仲が良くて。
私の姿も小さい頃は両親が魔術で人間と変わらない格好にして封じていたみたいです。
だから、私が魔族と有翼人の混血だと知らされた時は驚きました」
「そうか……。ところで、ジョルジュはいつからユウリと一緒にいるんだ?」
「ジョルジュは元々、母と一緒にいたんです。
最初、父にはまったく心を開いてなかったって母から聞いた事があって
その時はどうしてかわからなかったんですけど……その理由が今日、やっとわかりました」
「駆け落ちの事?」
「はい」
「ユウリのお母上が“有翼人の森”を出たのはお父上と一緒になる為だったって言うのはわかるけど……、
俺の父は何故魔界を捨てたんだろうな……」
「そうですね、魔王にまでなられたお方ですし……」
「何か理由があるにしてもさっぱりわからない……」
ラーサーは軽く溜め息を吐いた。
「ラーサー様のご両親はどんなお方だったのですか?」
「どんな……? うーん……俺の両親も普通だよ。
二人とも優しくて、時には厳しい両親で……。
ユウリのご両親と同じ様に周りの人間共仲が良くて姿だっていつも魔力で変えてた。
だから俺達が人間じゃなくて“魔族”なんだとちゃんと教えられたのは俺が七歳の頃だったんだ」
「そうだったんですか……。
ラーサー様、この一件が終わった後は……セシリアさんと魔界へ戻られるのですか?」
「……まだ、わからない……俺が現魔王だとか言われても魔界なんて所、
一度も行った事も見た事もないのに……」
「生まれた時からずっとイムールだったのですか?」
「あぁ、俺は生まれも育ちもイムールだよ。
だから、初めて両親から“魔族”だと聞かされた時は信じられなかったよ。
自分は“人間”なんだと信じて疑わなかったからな」
「私と同じですね。私も生まれも育ちもアントレアなんです」
「じゃ、ユウリも“有翼人の森”へ行った事がないのか?」
「はい、行った事も見た事もないんです。何処にあるのかも知りませんし」
そう言ってユウリが苦笑いすると
「俺も何処に魔界があるのか知らないな」
ラーサーも苦笑した。
「……」
「……」
そして、しばらく無言で見つめ合った後、
「俺は……ユウリと離れたくない……」
ラーサーが熱を帯びた目で言った。
「この一ヶ月……城を出てからずっとユウリの事が気になってた……。
仕方がなかった事だとはいえ、君を置いて行ってしまった事を凄く後悔した」
「ラーサー様……」
「だから……本当はユウリと離れたくない……」
ラーサーはそう言うとユウリの肩に手を回し、唇にそっとキスを落とした――。
◆ ◆ ◆
――数日後。
ラーサーとユウリ、セシリアの三人とジョルジュはラーサーが先日までいた港町のあの外れの丘まで転移魔法で移動した。
「此処からですと少し東に戻る事になります」
ジョルジュは周りを見渡し東の方を向いた。
丘の上から東の方を見下ろすと、確かに大きな森が見えた。
「あの森が、“有翼人の森”……?」
ユウリは初めて見る森を感慨深げに見つめながら口を開いた。
「はい」
ジョルジュは返事をしながら、少し心配そうにユウリに視線を移した。
「……行こう」
ラーサーはその様子を見るとユウリの背中に優しく手を当てた。
ユウリはコクンと頷き、ゆっくりと“有翼人の森”へ向かって歩き始めた。
そうしてしばらく歩いたところで森の入口まで来ると全員が足を止めた。
丘の上からの眺めとは違い、目の前に広がる大きな森はとても深く、奥の方は所々に光が差している程度で
まだ昼間だと言うのにまるで夜の様に暗い。
「こちらです」
ジョルジュはそう言うとすぐ目の前に見える一際大きな木の前に降り立ち、何か呪文のような言葉を詠唱し始めた。
長い詠唱が終わると、霧が晴れていく様に深い茂みの奥に道が現れた。
どうやら結界が張られていたようだ。
「参りましょう」
ジョルジュはラーサー達の方を一度振り返ってからその道を少し進み、
「皆さんはしばらく此処で待っていてください」
ラーサー達をその場に残して奥へと飛んで行った。
ジョルジュが森の奥へ消えて一時間程が経過した頃――、
ラーサー達の前に数人の有翼人が現れた。
一人は白髪の老人、他の有翼人達はどうやら兵士のようだ。
「お待たせ致しました」
白髪の老人はラーサー達を迎えに来たのだ。
ラーサーとユウリは老人の声を聞き、顔を見合わせた。
「ジョルジュ……?」
ユウリが老人にそう呼び掛けるとその老人は
「はい」
彼女を真っ直ぐに見つめた。
「今まで隠していて申し訳ありません。
詳しいお話は後ほど……国王様がお待ちです、参りましょう」
ジョルジュはそう言うとゆっくりと歩き始めた。
すると数人の兵士達がラーサー達の左右と後ろについた。
ラーサーは周りを兵士に囲まれながらも、今まで見た事もないジョルジュの本来の姿に
戸惑っている様子のユウリを気遣うように、
「ユウリ、行こう」
優しい笑みを浮かべて言った。
「……はい」
ユウリはそれでもまだ少し不安そうな顔でラーサーを見上げた。
「大丈夫だ、俺がついている」
ラーサーはそう言うとユウリの手を取り、ジョルジュの後ろを歩き始めた。
ジョルジュは少し離れた場所に待たせていた箱馬車にラーサー達を乗せ、最後に自分も乗り込んだ。
そして兵士達が馬に乗り、箱馬車を囲むように隊列を組むと静か走り出した。
“有翼人の森”の中はランディール王国や他国とあまり変わった所はない。
町も城もあり、その建物の殆どが木や煉瓦で出来ている。
ただ、流石に緑は多い。
道もランディールの城下町のように石畳ではなく、土のままだ。
やがて――、
城へと続く道が石畳に変わり、城が近い事を窺わせた。
馬の蹄の音が響き、ユウリは段々と緊張した表情へと変わっていった。
すると、膝の上に置いていた手にラーサーの大きな手がそっと重った。
ユウリがハッとして見上げるとラーサーが大丈夫だという風に優しい眼差しで見つめていた。
城に到着すると、馬車は徐々に速度を落としてゆっくりと停まった。
ラーサー達が馬車を降りると、其処には城中の兵士がユウリを出迎えていた。
「お帰りなさいませ、ユウリ様!」
「……っ」
ユウリはその様子に圧倒され、立ち尽くした。
「どうぞ、こちらへ」
ジョルジュはユウリを気遣いながら城の中へ入るよう促した。
「……」
ユウリはごくりと息を呑み、深呼吸をして一歩足を踏み出した。
ラーサーとセシリアもユウリの後に続き、城の中へと入って行った。
ジョルジュに案内された部屋は謁見の間ではなく会議室だった。
そして、その中にはジョルジュと同じ白髪の有翼人とライムグリーンの髪と瞳を持つ有翼人の青年が待っていた。
「そなたがユウリか……?」
白髪の老人はそう言うとユウリをじっと見据えた。
「はい……、ユウリ=マーシェリーです」
ユウリは恐る恐る少し小さな声で答えた。
「ユウリ様、こちらは現国王のシジスモン様です。
クララ様のお父様……つまり、ユウリ様の御祖父様にあたるお方です」
ジョルジュは白髪の老人をユウリの祖父だと言った。
「私の御祖父様……?」
ユウリはシジスモンが自分の祖父だと知り、驚いた表情でシジスモンを見上げた。
しかし、次の瞬間――、
シジスモンはラーサーの姿が目に入った途端、
「お前は……っ!? 生きていたのかっ?」
立ち上がって声を荒げた。