千の夏とたったひとつの願い事 −1−

 

 

「チィちゃん。」

僕はいつものように病室のドアを開け、ベッドの上にいる女の子に声を掛けた。

 

「ショウちゃん。」

珍しく体を起こして窓の外を見つめていたチィちゃんは

僕の顔を見ると嬉しそうに微笑んだ。

 

「起きてて大丈夫なの?」

 

「うん、今日はいつもより調子がいいから。」

チィちゃんは生まれつき心臓に病気を持っている。

幼い頃から入退院を繰り返して、大きな手術も何度か受けてきた。

 

そしてまた、中学を卒業してからずっと入院している。

 

僕はそんなチィちゃんのお見舞いに毎日来ていた。

学校がある平日は放課後、今日みたいな休みの日は

お昼からチィちゃんに会いに来ている。

 

「じゃあ、外に出てみる?」

チィちゃんが体を起こして外を見つめている時は

だいたい天気が良くて調子もいい日だ。

ずっと病室にいるのだからそんな日くらいは

外へ出たいと思うのは当然だろう。

 

けど、チィちゃんは決して自分からは「外に行きたい。」とか、

「連れて行って欲しい。」とは言わない。

 

看護師さんにも、家族にも・・・

 

そして、僕にも・・・。

 

だから、僕はいつもチィちゃんが外へ行きたがっていそうな日は、

僕から外へ行こうと誘ってみる。

 

「うん!」

そうするとチィちゃんは必ず「うん。」て言うんだ。

今みたいにこうしてとても嬉しそうな顔で。

 

僕はチィちゃんに上着を着せて車椅子に乗せた。

別に歩けない訳じゃないけれど、疲れさせてしまうといけないから。

 

 

病院の中庭に出ると、ひらひらと風に乗って桜の花びらが落ちてきた。

「わぁー、ショウちゃん、桜だよ。」

チィちゃんはひざ掛けの上に落ちてくる花びらを柔らかい笑顔で見つめていた。

 

「綺麗だね。」

僕はこの時、二つの意味を込めて言った。

一つは“桜が綺麗”。

 

そしてもう一つは・・・

 

チィちゃんはきっと気付かないんだろうな・・・。

 

「うん、すごく綺麗。私、花の中で桜が一番好きなんだ。」

 

・・・ほら、気付いてない。

 

桜の花びらが舞う中で笑っているチィちゃんは・・・

・・・本当に綺麗だった・・・。

 

「僕も好きだよ。」

この“好き”の意味も二つ・・・。

 

“桜が好き”。

 

それと・・・

 

これもきっとチィちゃんは気付かない・・・。

 

けど、今はそれでいい・・・。

 

 

次の日、学校の帰りにチィちゃんのところに行くと、

少ししんどそうにベッドに横になっていた。

 

「チィちゃん・・・大丈夫?」

 

「・・・ショウちゃん・・・。」

僕が小さな声でそっと声をかけるとチィちゃんは

閉じていた目をゆっくりと開けて少しだけ笑った。

 

もしかして、昨日・・・無理させちゃったのかな?

 

「・・・ごめんね。僕が昨日、外になんか連れ出したから・・・」

 

「違うよ・・・ショウちゃん。」

チィちゃんは小さく首を横に振った。

 

「でも・・・」

 

「違うもん・・・。」

チィちゃんはそう言ったけど・・・

最近、前より疲れやすくなっている気がした。

それに少し痩せたようにも思える。

 

チィちゃんは体が小さい。

同い年の女の子と比べても一回りも二回りも小さい。

幼い頃から運動を止められていて、

その上、食も細い。

だからあんまり成長していないんだ。

 

それがまた最近、余計に痩せて疲れやすくなったのか、

それとも・・・

 

心臓の病気が悪化したのか・・・。

 

僕は正直、チィちゃんの病気の事は詳しく聞いていない。

聞くのが怖い・・・と言うのもある。

 

最初は隣に住んでいる女の子が入院した・・・というだけだった。

いつも一緒に幼稚園に行っていた。

だけどそれが段々、入院して退院したかと思ったら、また入院して、

・・・幼稚園にも一緒に行けなくなった。

僕もまだ小さかったから、チィちゃんの病気をよく理解できなかった。

 

それから、小学校にあがってチィちゃんは他の子と違うんだと実感した。

そして、僕は母さんに聞いた。

母さんはチィちゃんのお母さんと仲が良い。

だからチィちゃんの病気の事もよく知っている。

 

母さんは僕にチィちゃんは心臓の病気で、

あまり長く生きられないんだと教えてくれた。

 

手術を受けても、それでどのくらい生きられるようになるかわからない。

それでもチィちゃんは手術を受けて今も生きている。

 

10歳まで生きられれば良い方・・・。

そう言われていたけれど、チィちゃんは中学を卒業する事もできた。

だから僕はチィちゃんの病気も治ると信じている。

 

いや・・・信じたい・・・。

 

信じたいから、母さんやチィちゃんのお母さんに詳しく聞けないんだ・・・。

 

でも・・・

 

今、僕の目の前でチィちゃんは辛そうにしている。

昨日、僕が外に連れて行ったりなんかしたから・・・。

 

もう・・・チィちゃんを外に連れて行くのは無理・・・かな?

 

「・・・ショウちゃん・・・また、連れて行って・・・?」

 

「・・・え?」

 

「外・・・」

いつもは絶対に口にしない事をチィちゃんが言った。

 

「チィちゃん・・・。」

今までこんな風に素直に言ったことなんてなかったのに・・・。

 

「また・・・ショウちゃんと桜、見たい・・・。」

 

「・・・。」

僕は言葉に詰まった。

チィちゃんの寿命を縮めてしまうことになるかもしれないから・・・。

 

「・・・ショウちゃんと・・・もっといろんな物見たい・・・。」

チィちゃんはまるで叶わぬ願いを口にするかのように言った。

 

「・・・うん・・・わかった。」

 

「・・・ホント?」

 

「うん・・・だから、チィちゃんも早く元気になって?」

叶わない願いなんかじゃない。

チィちゃんが望むなら・・・僕が叶えてあげる。

 

「チィちゃんが元気になったら、また一緒に外に行こうね。」

 

「うんっ。」

チィちゃんは嬉しそうに返事をした。

 

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