言葉のかわりに−第三章・8−

 

 

九月になり、いよいよ今日から唯のCMが全国で放送開始になる。

 

しかし、一日のどの時間帯に流れるかはよくわからない。

唯自身も詳しくは知らないようだ。

 

(シャンプーのCMって事はゴールデンタイムでも流れるのかな?)

考えながら和磨が学校へ行く準備をしているとテレビから何かのCMが流れてきた。

 

月明かりだけに照らされた部屋の中で、真っ白なワンピースを着た女性がピアノを弾いている。

大きく開かれた窓からは満月が見えていた。

差し詰め“中秋の名月”と言ったところだろうか。

窓から吹いてくる風に女性の長い黒髪がさらさらと靡いて商品が画面に映り、CMは終わった。

 

(……あれ? これって……)

 

それは、まさしく唯のCMだった。

和磨はすぐさまDVDの録画予約をした。

明日の同じこの時間帯の同じ番組を。

平日の朝に流れたという事は明日もきっと同じ時間に流れるはずだ。

 

だが、CMが見たいが為に番組を録画予約する人は日本中を探してもそうはいないだろう。

あまり顔ははっきりと映っていないと唯から聞いていたが確かに唯の顔を知っている人間が見ても、

よく見ないとわからない程だった。

 

(これなら、学校でもそんなに騒がれずに済むかもな……)

和磨は少しホッとしていた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

教室に入るとすでに香奈と拓未が来ていた。

拓未と同じ時間に香奈が来ているなんて珍しい。

 

(そういえば昨日、上木さんが泊まりに来るとか拓未が言ってたな)

 

おそらく拓未の家から一緒に来たのだろう。

 

そして唯の机に目をやるとカバンがあった。

もう来てるいるようだ。

しかし、教室の中に唯の姿はない。

どこに行ったんだろうか?

 

「唯は?」

和磨は朝っぱらからラブラブな二人に唯の行方を訊いた。

 

「准達の所」

拓未はにやりと笑いながら答えた。

 

「なんでアイツらのトコに行ってんだよ?」

案の定、和磨がムッとする。

 

「なんか、プレゼントがあるんだと」

 

「はぁ?」

少し不機嫌になりつつある和磨の反応を拓未はククッと笑うと、

「例の唯ちゃんがCMに出たシャンプー、あれがメーカーからごっそり送られて来たんだと。

 んで、おすそ分けにって准と智也の所に持って行ってるんだよ」

と、“プレゼント”の種明かしをした。

 

「つーか、お前にもって、机の上に置いてあるだろ?」

拓未は和磨の机の上に置いてある紙袋を指差した。

 

「あー、そういえば、さっきから何か置いてあるなー? とは思ってたんだけど……これ、唯が置いたんだ?」

てっきりまたファンの子が勝手に置いていった物だと思い、和磨はたいして気にしていなかった。

中身を見ると拓未が言ったとおり、例のシャンプーとコンディショナーが入っていた。

 

そして、和磨がカバンを机の横に引っ掛けて席に座ると大股でズカズカと教室に入って来る男子生徒が視界に映った。

 

「香奈!」

その男子生徒は香奈の目の前に立つと「唯は?」と訊いた。

 

(む。なんでコイツ、唯の事呼び捨てにしてんだ?)

和磨はその男子生徒をちらりと横目で見た。

 

「……唯に何の用?」

香奈は少し怪訝な顔をしながらその男子生徒に訊き返した。

 

「アイツ……パリに留学するって本当なのか? それになんでCMなんかに出てんだよ?」

 

(あのCMを見て唯だとわかったのか……?)

 

「誰に聞いたの?」

 

「お袋。昨日、唯んトコのおばさんが来てて、そう言ってたらしい……なぁ、それって本当なのか?」

 

「それを訊いてどうするの?」

 

「……」

その男子生徒は押し黙り、むっとした表情のまま香奈を見据えていた。

 

(唯のお母さんがコイツの家に来てたって事は家族ぐるみの付き合いって事か? 幼馴染? でも、それにしたって……)

男子生徒の正体が気になり、あれこれ考えを巡らせる和磨。

 

するとそこへタイミング悪く、唯が教室に戻って来た。

 

「コウちゃん……?」

唯はその男子生徒の事をそう呼ぶとその場に立ち尽くした。

 

唯が和磨以外の男子を下の名前で呼ぶ事は珍しい。

今ではずいぶん仲良くなったJuliusのメンバーでさえ、まだ苗字で君付けだ。

 

“コウちゃん”と呼ばれた男子生徒は唯の声に振り向くと、

「ちょっと来い!」

乱暴に唯の手首を掴み、教室から出て行った。

 

「孝太!」

香奈が呼び止めると唯は「すぐ戻るから」とだけ言って孝太について行った。

和磨も香奈と同じく追い掛けようとしていたのか、教室の入口まで来ていた。

 

「あの男……誰なんだ?」

とりあえず席に戻った和磨は香奈に男子生徒の正体を訊いた。

 

「私と唯の幼馴染……」

三年一組の長瀬孝太。

唯とは香奈と同じく二才の時からの付き合いだと香奈は説明した。

 

(そんなヤツがいたのか……)

 

「中三の時までは、一緒に登下校してたんだけど高校に入る前から突然疎遠になって……」

 

「突然?」

 

「まぁ、理由は……孝太が唯を遠ざけたから」

香奈はそこまで話すと、いつも持ち歩いているカードケースから一枚の写真を取り出した。

 

その写真にはさっきの男子生徒と唯と香奈……それにもう一人。

 

(もう一人は……え……? もう一人も唯?)

和磨は自分の目を疑った。

 

(唯が二人?)

「これ……」

和磨は言葉を失った。

写真の中の唯は今より少し幼い顔をしている。

中学三年生くらいの時に撮ったものだろうか?

 

「唯の隣にいるのは……双子の妹の舞よ」

 

「双子っ!?」

(唯が双子……?)

 

「やっぱり唯から何も聞いてなかったんだ……」

香奈はゆっくりと写真から和磨の方に視線を移した。

 

「あぁ……」

 

「……唯もまだ舞の事……話すのが辛いのかもね」

 

「……その……“舞”って子は? 俺、見た事ないけど……」

唯の家には時々、遊びに行っている。

しかし、和磨は一度も舞に会った事がないのだ。

それもそのはず。

 

「中三の冬に事故で亡くなったの」

 

「え……」

(亡くなった……?)

 

「恋人と一緒に歩いてるトコに居眠り運転の車が突っ込んで来てね、

 彼の方はなんとか一命を取り留めたんだけど……舞は駄目だったの……」

香奈は話しているうちにその時の事を思い出したのか、少し泣きそうな顔になった。

 

「その恋人って言うのが……孝太」

 

(アイツが……)

 

「孝太が入院してる間もずっと私と唯で毎日お見舞いに行ってたんだけど、

 ある日ね、孝太が“しばらく俺の前には現れないでくれ”って唯に言ったの」

 

「なんでだ……?」

 

「孝太の意識が戻った時にはもう舞は亡くなってて……“目が覚めたら恋人が死んでた”っていう事実が

 受け入れられないまま、その恋人とまったく同じ顔をした子が毎日お見舞いに来て自分の前に現れる訳でしょ?

 それが辛くてあんな事言ったんだと思うんだけど……」

 

「それで疎遠に……?」

 

「……うん……それに……」

香奈は次の言葉を口にするのを少し躊躇した。

 

「それに……?」

和磨は促すように香奈を見つめた。

 

「……唯、誰にも言わなかったんだけど、孝太の事が好きだったの」

 

(……っ!? 唯がアイツの事を……?)

 

「孝太が唯の初恋の相手……。だから、孝太からそう言われて余計に唯も距離を置くようになったのよ」

 

(好きだった相手からそんな事を……)

 

「唯が篠原くんと付き合ってる事、あんまり公にしたがらなかったのも、Juliusのファンの手前もあるけど、

 多分……孝太の事を考えての事だと思う」

 

「どうして……?」

 

「孝太がまだ舞の事を忘れてないのをわかってるから、舞と同じ顔をした自分の幸せそうな姿を

 見せたくなかったんじゃないかな」

 

「……」

(もしかして……唯はまだアイツの事が好きなんだろうか? だから、俺に一言も“好き”だとも言ってくれないのか?

 ……だから、パリに行くのか? アイツから離れたい為に……?)

「唯が来年パリに行こうとしてるのは……アイツの所為……?」

 

「それは違うよ」

香奈はキッパリと否定した。

 

「舞が亡くなった日ってね、音楽高校の受験日だったの」

 

(音楽高校の? そういえば……唯はあれだけ真剣にピアノをやっているのに音楽高校に行っていない)

和磨は今さらながらその事に気がついた。

 

「結局、唯は試験すっぽかしたから、すべり止めで受けてたこの高校に入ったのよ」

 

(そうだったのか……)

 

「前に唯が“結構時間もロスしてるし”って言ってたの憶えてる?」

 

「あぁ、四月に三者面談の話してた時だろ?」

 

「うん。音高に行けばほぼ一日中、音楽の事を勉強出来るけど、この学校は進学校だからね……。

 唯にとっては音高に行けなかったのは、かなりの時間のロスなんだよ」

 

「それでか……」

 

「それと……、唯はもう孝太の事好きじゃないわよ」

そして、香奈は和磨が思っていた事を見透かしたように言った。

 

「その証拠に携帯の着メロ、篠原くんからの電話とメールだけ変えてるし」

 

「え……?」

 

「やっぱり知らなかったんだ?」

 

「う、うん……」

 

「唯が携帯に無関心なのは前に話したよね?」

 

「あぁ」

 

「その唯がよ? 私とか家族からの着信すら普通の着メロと同じなのに篠原くんのだけ変えてるのよ」

香奈はそう言うとクスクスと笑った。

 

「確かに唯にとっては孝太は特別な存在だとは思うよ。これからもずっと……けど、それはもう幼馴染としてだから。

 ……というか、兄妹とか家族みたいな感じかな」

 

「……」

(つまり、それは多少の事は目を瞑れ……と?)

 

「まぁ、それは私にも言える事だけど」

香奈はそう言って傍で話を聞いていた拓未をちらりと見ると、

「だから……拓未も私と孝太の事で妬いたりしないでねー?」

ウインクをした。

 

「はぁ〜っ?」

拓未は香奈に何を言い出すんだ? と言った顔をすると、俺の方に視線を向け、肩を竦めた。

 

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